私は「野球界へのAIの導入」が時代のすう勢だとは思わない。しかし技術の進化によって野球が楽しくなるならそれはよいことだと思う。
私が問題だと思っているのは「AI導入すべきだ」と言う言葉の前に「審判が駄目だから」「レベルが低いから」「信頼できないから」「ジャッジにもっと精度が必要だから」のような「枕詞」がつくことだ。

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明確にしておきたいが、今のNPBの審判は、NPB86年の歴史で「最も高いレベル」にある。かつては「経験則」だけでジャッジをしてきたが、今は投球をビデオで確認し、きめ細かに判断している。ケーススタディも折に触れて行っている。かつては審判部はセ・パに分かれていたが、今は統一され、全体で情報共有がされている。
そして「ストライクゾーン」についても、極めて高い精度で判断されている。
「それでも審判によってストライクゾーンが微妙に違うじゃないか」と言うかもしれないが、そもそもストライクゾーンは、その試合の球審が設定するものだ。微妙に変化する(ように見えること)も含めて野球の試合だ。

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ビデオ機器が発達し、オンタイムでいろいろなことが「見える化」されたことにより、本来は主審の裁量の範疇にあることまで、素人が口を出すようになった。ちまちましたストライクボール、アウトセーフの判定の揚げ足取りをして、審判の「不出来」を言うことが、あたかも「野球通」であるかのような風潮が広がった中で「AI導入」の話をするのは、当てつけじみて、全く賛同できない。

そもそも「絶対的なジャッジ」など存在しない。ジャッジは常に「相対的なもの」だ。

スポーツは「審判」がいなければ成立しない。両チームの選手が審判に全幅の信頼を寄せることによってゲームは運営される。その前提が崩れれば、試合もスポーツも成立しない。

もちろん、個別のジャッジ、審判個々の適正については、その都度判断されるべきではあろう。修正されたりペナルティを受けることはあるだろう。審判は無謬ではない。他の仕事と同様、ミスや過失は日常的におこることであって、ジャッジへの疑念、審判へのクレームが「審判と言う職務への不信感」につながるような深刻な事態は起きていない。

Number Webで審判について書いたときに「お前は審判至上主義か」と言う批判を貰ったが、およそスポーツと名がついて「審判至上主義」でないものなど存在しない。
AI導入が妥当なケースとは「審判を信頼し、絶対的な権限を与え続ける」と言う前提がある場合のみだと言ってよいだろう。


NOWAR


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