ひろゆきの発言が少し波紋を呼んだが「甲子園廃止論」は、野球関係者の間ではそれほど珍しい話題ではない。
春夏の高校野球は、高校野球のみならず「日本の野球の発展」に決定的な役割を果たした。

夏の甲子園の前身である1915年に大阪朝日新聞の主催で始まった 「全国中等学校優勝野球大会」は爆発的な人気となり、全国の中等学校に野球部ができた。この大会によって野球の普及が一気に進んだと言ってもよい。20年後のプロ野球の誕生も、この大会あればこそである。
それだけでなく「部活の全国大会」としても、画期をなすものであり、以後、様々な競技の「全国大会」が生まれた。さらに言えば「新聞社がスポーツ大会を主催する」という日本独特のスタイルも夏の甲子園がほとんど最初であり、以後、大小の新聞社が真似をするようになった。「言論機関である新聞社が、部数拡大のため商業イベントをする」という民主主義国家ではほとんど例を見ないスタイルもここから始まった。
当時の大阪朝日新聞社会部長、長谷川如是閑が企画したという。長谷川は文化勲章受章の大文学者だ。著作を見たが、その経緯を書いたものはなかった。

高校野球が発展しなければ、野球は大学の一部エリートだけが楽しむスポーツに終わった可能性もある。

IMG_9897


しかしながら高校野球が恐ろしく発展したことで、日本野球のスタイルはアメリカなどとは異なるものになってしまった。

一つは「一戦必勝」、トーナメント戦で「負けたら次がない」ために、何が何でも勝つことが至上命題とされた。そのために控え選手が出場できないとか、投手の酷使とか弊害が多く生まれた。

もう一つは「全体主義」、野球はチームスポーツであるとともに個人競技としての一面も強く持っているが、日本野球では「犠牲の精神」が強調された。投手はチームのために故障を恐れず投げるし、打者は自分を犠牲にして走者を送る。本塁打を狙ってバットを振り回すのは「チームプレーらしからぬ」と言われた。

「高校野球の父」と言われる飛田穂洲は「一球入魂」を唱えて、高校野球の精神的側面を美化し、高揚した。それは戦前や戦後の高度経済成長期までは、社会の趨勢に一致していた。戦前は「強い兵隊さん」、戦後は「企業戦士」をつくるために、野球と言うスポーツは良く適合していたのだ。


NOWAR


阪本敏三、全本塁打一覧|本塁打大全

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!