「ワイドなショー」で甲子園の二部開催について、中居正広が「でも伝統だから」と言った。
いわゆる野球ファンは、甲子園について語るときに口を開けば「伝統」と言う言葉を口にする。
その起源は1915年、第1回全国中等学校優勝野球大会までさかのぼる。今年で107年目だから確かに古い。第1回出場者は今年128歳になるから、生きているはずもない。

確かに歴史を重ねているとは言えるが、私などは「それがどうした」と思っている。私は歴史が好きで、伝統文化の仕事をたくさんしてきたが、1世紀そこそこのものなど、伝統文化の世界では無価値だ。
ジャンルが違うとはいえ、これしきの時間経過を「伝統」とは笑わせる、と思う。
そもそも、スポーツは近代に入って考え方もルールも、競技の環境も劇的に変化している。
今も存続しているスポーツで世界最古のものは、日本の大相撲ではないかと思う。大相撲の番付は18世紀後半から現在まで継続しているが、土俵の大きさも競技の形式もランキング(番付)も大きく変わっている。
野球は19世紀半ばからプロリーグがあったが、ストライクボールの判定もさまざまなルールも大きく変わった。

伝統芸能と言うが、今が酣の「阿波踊り」や高知の「よさこい」、9月の「おわら風の盆」などのスタイルも昭和になって固まったものであり、よさこいなどは戦後のものだ。もちろんルーツはあったが、それは様々に変化して、ここまで存続したのだ。

大昔から「変えない」ことが重要視されるのは「古典芸能」「古典文化」だけだ。雅楽や能楽、邦楽の「古典」、伝統工芸の「伝承技術」など、国や地域が「古式を守るべき」と決めたものだけだ。

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甲子園の野球だって、ずっと変わらないわけではない。球場のサイズも変わり、野球道具も大きく変わっている。ルール変更もあった。ユニフォームも変わった。
「伝統が大事」というなら、今もドンゴロスのような分厚い生地のユニフォームを着て飛ばない木のバットで野球をすれば良いのだ。

高校野球ファンが「伝統を守れ」と言うのは、自身の「昔の想い出を大切にしたい」というちんけな感傷でしかない。

ましてや温暖化で40年前とは「夏」の概念が違ってきている。昔は「酷暑」などはなかった。熱中症のリスクははるかに高まっている。また過酷な試合が球児の将来に深刻な禍根を残すことも、科学的に明らかになっている。

年寄りのどうでもいい「感傷」で、若者を危機に陥れることは許されない。

本当の「伝統」とは競技としての存続のために、時代や環境に合わせて変革を恐れない中から生まれるのだ。

「伝統だから変えられない」と言う人は、その物事を誠実に考えていないいい加減な人だとみなすべきだろう。



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