今季の大谷翔平が、もうちょっとで達成しそうだが、同一シーズンに規定打席と規定投球回数を共に満たすとすれば、1901年以降のMLBでは初めてのことだ。そしてNPBでは調べた限りでは30例あった。
NPBで規定打席、規定投球回数を共に満たした選手。
なお、投打の「規定」は今は規定打席は試合数×3.1、規定投球回数は試合数×1だが、それ以前は何度も変わっている。その時代の基準をクリアしたものとする。
日本プロ野球は1936年春にスタートしたが、個人記録は1936年秋からランキングが発表されている。
1938年までは2シーズン制で、シーズンごとに記録を発表していた。ショートシーズンだから投打ともに規定をクリアするのは容易だ。この時期に16例があった。
中ですごかったのは景浦將だろう。1936年秋には防御率1位、1937年春には打点王に防御率2位になっている。
1937年秋の野口明は最多勝だ。
1938年からは1シーズン制となったが「野口」の名前が目立つ。野口四兄弟の長兄明、次兄二郎と、この兄弟とは無関係の野口正明が二刀流記録を達成している。
1940年の野口二郎は史上3位の40勝を挙げるとともに規定打席に到達。
戦前は戦争も激化して選手数が減少する中で、二刀流がまだ結構見られた。
しかし戦後は3例だけ。そして2リーグ分立後は阪急の野口二郎ただ一人だ。
興津立雄、全本塁打一覧|本塁打大全
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1940年の野口二郎は史上3位の40勝を挙げるとともに規定打席に到達。
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しかし戦後は3例だけ。そして2リーグ分立後は阪急の野口二郎ただ一人だ。
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