大阪のぼんぼんが、そのまま野球選手になって出世コースを歩いたと言う印象だ。
実家は玉造にあった製函会社。親は熱烈な阪神ファンで谷町。岡田は明星中学時代に頭角を現し、甲子園は間違いないと野球関係者は喜んだが、高校は明星に進まず、北陽に行ってしまった。明星なら歩いて通えたのだが、北陽の方が好条件を示したのだろう。

明星に進んでいたら、私の2学年上となった。体育の教師が「岡田がおったらなあ」というのを聞いたことがある。明星から日生球場まで歩く道すがらに、岡田の実家の前を通るときは、誰かが「これ、早稲田の岡田の家や」と必ず言ったものだ。

早稲田でも大活躍して、阪神にドラフト1位で入団、新人王を獲得。掛布雅之、真弓明信、バースらと強力打線を組んで1985年に優勝したのは周知のとおり。

しかし選手としては1520安打、打率.277、新人王、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ各1回、主要タイトルはなし。
ただ強かった阪神の掛布に続く生え抜きとして人気はあり、オールスターには8回選ばれている。

それほど苦労することなくエリート街道を歩んだ。晩年、オリックスに移籍したのは不本意だったかもしれないが、引退後、コーチを経験。
2003年オフに解説者を経て阪神監督になる。

監督成績

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星野仙一が前年に優勝しながらも健康問題で退任した後を受けての就任だった。繁盛店を居抜きで継承した店長のようなものだから、当然ながら強いチームだった。
打線は赤星憲広、今岡誠、鳥谷敬の生え抜き組に矢野輝弘、金本知憲、投手陣は井川慶、藪恵壱、安藤優也などに下柳剛と多士済々。2005年にはジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之のJFKを形成して優勝。
選手に恵まれていたとは言えるが、その陣容をうまく使ったとも言えよう。

退任から1年置いて2010年にはオリックスの監督になったが、T-岡田はともかく、チームの補強か場当たり的で、カブレラ、バルディリス、ラロッカ、カラバイヨと大振りする外国人を補強したりした。投手陣は寺原隼人、金子千尋、西勇輝が台頭していたが、成績が安定せず、低迷した。

岡田彰布は貧乏くさいところがなく、いつも悠揚迫らぬところを見せている。「あかんかっても別にかまへんわ」と言いそうな指導者ではあるが、矢野のようにイライラしないのは良いかもしれない。


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