取材の関係上、一部匿名で書かせていただく。
ジャイアント馬場こと馬場正平は小学校低学年で突然身長が伸び始めた。小学6年生で175㎝、高校生の時には190㎝にもなっていた。
その風貌の変容ぶりや、手足の伸長からして、馬場は脳下垂体のホルモン異常を発症したのは間違いなかった。多くは脳下垂体の視床下部に良性の腫瘍ができて成長ホルモンに異常をきたしたのだ。
馬場の身長は伸び続けたが、三条実業を中退して、読売ジャイアンツに投手として入団する。しかし2年目に突如視力を失う。視床下部にできた腫瘍が視神経を圧迫したのだ。
そこで東京大学神経外科の清水健太郎医師の執刀で開頭手術を行い、脳下垂体にできた腫瘍を除去した。
以下、Number Webに書いたものを引用。

東京大学医学部脳神経外科に残る記録によると、馬場正平の手術は、1956年12月22日に行われた。手術は、午前10時15分に開始、11時35分終了。麻酔は、午前9時40分開始、11時40分終了。右前頭開頭術。柔らかい腫瘍を吸引で摘出。術者は、清水健太郎教授、助手は田島、松本両医師、病理医は、所安夫医師だった。

馬場正平の額には、そのときの手術の跡が残っていた。

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ちなみに清水健太郎は戦前は東京大学野球部のエースとして活躍。東大教授になってからは東京六大学の理事長になり、長嶋茂雄の「ホームラン新記録」を表彰している。

馬場の伸長はその後、止まったと思われるが、よくわからない。

馬場正平は、脳神経外科医にとっては常に「学問的興味の対象」であり続けた。馬場の症例をきっかけに小学校の健康診断では「小学生で異常に背が高い子供」「容貌が特異な子ども」を担当医がチェックし、血液検査をするようになった。ここでホルモンの異状が見つかれば、その子供はすぐに手術で視床下部の腫瘍を除去する。今は上唇を切開してそこから吸引器を視床下部まで伸ばして、腫瘍を吸い取っている。馬場の時のような開頭手術ではないので、跡は残らない。
今、日本の30代以下で「巨人症」の子供がいないのは、この手術が行われているからだ。医師は手術をためらう親に「ジャイアント馬場みたいになりますよ」と話してきた。すると、ほとんどが手術に応じると言う。馬場は間接的に日本の健康維持に貢献している。

脳神経外科医は手術後の馬場に、ホルモンの異状があったのかどうかを知りたくて、何度か診察を申し出たが、馬場はそれを拒み続けた。その後、馬場にホルモン異常があったかどうかはわからないが、馬場は「糖尿病を発症、大腸がん」と言う、脳下垂体異常者の多くがたどる過程をたどって死んだ。

脳神経外科医たちが、馬場と共に注視していたのがアントニオ猪木だ。191㎝の長身、突き出たあごなどは脳下垂体異常による巨人の特徴を示している。しかしその動きはそうでない人のもののようにも思える。
ある脳神経外科医は、何とか猪木の血液検査をしたいと思っていたが、武道館での試合で猪木が額を割られてその医師が勤務する病院に担ぎ込まれた。医師は輸血の必要もあるので採血して血液検査をした。その結果、猪木はホルモンの異状はなく、巨人症ではないことが分かった。医師はその旨を猪木に伝えたと言う。その試合が何の試合だったかは、聞きそびれた。

昭和の二大巨人の話。


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