吉田正尚のMLB挑戦について、悲観的な見解を述べたわけだ。その根拠も示した。長くNPBからMLBに行く選手を見てきたが、NPBとMLBの野球が「量的」なものだけでなく「質的」な部分でも乖離が進んでいる中で、その陥穽に、屈指の打者である吉田正尚が嵌まり込むのはみたくないのだ。
恐らく今月中にはNumber Webあたりで吉田正尚など今季、MLBに挑戦を表明した選手についての展望を記事にすると思うが、そうであっても「署名記事」だから「個人の感想」にすぎないことは変わらない。
しかしこの手のブログや記事を書くと、必ず来るのが
「吉田正尚が行きたいって言っているのだからいいじゃん」
「赤の他人がとやかく言うことないじゃん」
「失敗しても吉田の責任だから構わないじゃん」
みたいな「じゃん」「じゃん」言うようながコメントだ。これは「吉田正尚のMLB挑戦」の是非について反論しているのではなくて「他人のやることに何をそんなに本気になっているんだ」と冷水をかけているわけだ。さして興味のないことについてちょっとお利口そうなコメントをしておこう、というさもしい根性が見て取れる。

私はこの手の「無関心」あるいは「冷笑」のスタンスこそが、日本の言論を減退させる根源だと思っている。
世の中で起こっている物事の大部分は、私とは関係がない「他人事」だ。ほおっておいても自分の身の上には何の影響もない。
しかしながら、その他人事にわざわざ口をはさんで、あーだこーだいうところから「評論」は始まっている。他人事をあたかもわがことのように目の前に据えて議論することで、様々な物事は進化し、深化してきたのだ。
しかし、そうした議論の外側に立って「何を外野が熱くなってるんだ、ばかが」と言う冷笑派も必ず一定数いる。
この手のスタンス、意見こそ「要らざるもの」だ。世の中の進化にも、自身の知的深化にも何の役にも立たない。「俺と関係ないじゃん」と思ったら、コメントなどせずに、さっさと立ち去ればいいのだ。
世の中で最も良くない態度とは「無関心」だと多くの識者が言っている。世の中をよくするのは「少々おせっかいな人々」なのだ。

1982・83年松沼博久、全登板成績
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坂本も山田哲人も柳田もMLB挑戦より在籍チームとの長期契約を選んだように、いくら今が超円安でも吉田正尚へのオファーがオリックスの残留条件以上になるとは思えません。
かつてのホークスの松田のように、オファー内容を見た上で残留するのではと思うし、それが本人にも良い選択では。
鈴木誠也は守備走塁も一流で年齢もまだギリギリ若いので、来年以降はMLBに適合して、年俸に見合った活躍に期待します。村上の数年後にも期待します。
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