カタールワールドカップが開幕し、メディアが大騒ぎをしているが、ドイツなどはLGBTを認めないカタールへの抗議のサインとして、選手が腕章を巻こうとして禁止された。
カタールは金は持っているが、多様な生き方を志向する人が安心して生活できる国ではないのだ。
しかし札束で頬を張られたFIFAが、ワールドカップの開催権を与えた。そして、各国もワールドカップのビジネスモデルに便乗したわけだ。

日本のメディアもNHKから民放まで「ほいほい」言ってそれに乗っかった。国内ではLGBTの権利を否定する統一教会を非難する番組を連日発信しているが、「国家丸ごとLGBTを否定する」カタールでの大会開催については、ほとんど言及していない。
「カタールでのLGBT否定に反対して放送しません」と言う放送局は、日本には1社もない。新聞社も同様だ。
要するに「正義」よりも「金」が大事なのだ。

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しかし我々はこうしたメディアを嗤うことはできない。我々だって「正義」よりも「金」を優先することはよくある。ユニクロは中国で少数民族を搾取して作られている綿花を使っているとされるが、私はこの会社のフリースを愛用している。人権を弾圧している中国の小麦粉を使った食品を食べ、ウクライナで人々を虐殺しているロシアの海で捕れた海産物も食べている。それだけではなく汚職まみれのオリンピックの野球競技について記事を書き、相変わらず選手の酷使が続く高校野球、甲子園についてもポジティブな記事を書いている。もちろん問題点を指摘する記事も書くけど。

今の世の中は、企業活動もメディア活動も、人々の生活も、すべて世界とつながっていている。あたかも「牛肉の差し」のように、正しいものとそうでないものが複雑に入り組んでいる。自分が思う「完全な正義」を実現しようと思ってもほとんど不可能だ。

無理にそれを押し通すとピカソやウォーホルなどの芸術作品に水や粉をぶっかけたりする環境保護団体のようになってしまう。人々の共感を得るどころかその「身勝手さ」「独りよがり」が反発を受けかねない。

結局、我々は「ほんとはいけないんだけどね」と思いながら、消費し、情報発信し、生活するしかないのだろう。そんな中で、できるだけ正しいことを選択し、世の中が良くなるようにできることをするしかない。

ただテレビや新聞など巨大な影響力があるメディアや企業は社会的責任として、カタールワールドカップの「負の部分」についてもしっかり伝える必要があるだろう。

我々は日本のオリンピックが「汚職の巣窟」になっていることを目の当たりにしている。今なら「リンピック」の連環を断ち切るチャンスがある。また何年か先に、後ろめたさを感じながら「頑張れ日本」と言わなくて済むように、手を打つべきだろうと思う。


NOWAR


1982・83年松沼博久、全登板成績

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