ワールドカップやオリンピックはいろいろもめ事があったとしても、始まってしまえば競技中心になるものだが、今回はちょっと様相が違う。
とくにヨーロッパ圏のチームがカタールの政治体制、LGBT弾圧や、人権、報道の自由の抑圧、さらには他国から出稼ぎに来ている労働者の虐待、搾取に強い拒絶反応を示している。
イギリスやスペインなどが、抗議の腕章を巻こうとしてFIFAから禁止された。そこで試合開始直前に膝を突いたり、いろいろな抗議を行っている。
オリンピックよりこうした動きが顕著なのは、ワールドカップが「サッカー」と言う単体の競技の大会であり、選手やチームの意思統一がしやすいと言うことが大きいだろう。
それに加え、サッカーと言う世界で最も普及しているスポーツの特性として、世界の情勢に敏感にならざるを得ないと言うこともあろう。
さらに、今回はイラン代表チームが国家を歌わなかった。これは今年になってヒジャブの被り方を注意された女性が警察で死亡したことをきっかけとして、イラン全土で興っている抗議活動と関連があるとされる。
イスラムの教義を忠実にまもるイランの政治体制に、若い世代を中心に多くの国民が反発しているが、サッカー選手も連帯したのだろう。

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こんな感じで、これまでは「スポーツと政治は別物」といっていた通念が過去のものになりつつある。それが今の趨勢なのだろう。
FIFAはIOCと同様、大会の成功、ビジネスの成就を第一に考えているから、こうした動きには困惑している。
しかし、どんなに大きな競技団体であっても、もはや「政治」と無関係では存続できない時代が到来しつつあるのだ。

今回は、日本でもこうした他国の動きを報道するようになった。これは進歩ではあろうが、翻って自国の選手たちは「勝ちます」「グループリーグ突破します」と言うだけで、政治の話には一切触れていない。
昨日のドイツ戦の勝利で、日本ではワールドカップは大盛り上がりになるだろう。極東の国にとっては、カタールの政治体制は遠い別の国の話かもしれないが、世界の一流のアスリートたちは「スポーツ」だけでなく「社会問題」や「国際政治」についても見識を有し、自分の言葉で語るようになっている。
それが「一流のアスリート」の条件になりつつある。そうした時代が来ていることも認識すべきだろう。


NOWAR


1982・83年松沼博久、全登板成績

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