今朝の勝利の後、GKの権田修一に真っ先に駆け寄って抱き着いたのは控えGKのシュミット・ダニエルと川島永嗣だったという。控えの2人は権田を強く抱きしめて喜び合った。
ワールドカップでは歴代、前の大会で試合に出たようなベテランGKが控えに回って正選手をサポートする。サッカーではGKは固定されるので、彼らは試合に出ることはほとんどないが、それでも高いモチベーションを維持し、献身的に正選手をサポートする。
ゴールキーパーは、サッカーチームでは1人だけ全く違う動きをする。孤独になりがちだから、サブの選手が仲間となって、フォローをする必要があるのだろう、ワールドカップのような大きな大会に召集されるGKは、控えになればアクシデントがない限り試合に出ることは、ほとんどないが、それを承知でチームに合流し、プログラムをこなす。

もちろん、試合には出たいだろうが、出られなかった際に自分がするべきこと、つまりは正選手のサポートや精神的な励ましなどの役割についても十分に理解している。
ある意味で正選手と一体になっているし、モチベーションも維持することができるのだ。

だから試合に勝てば一緒に喜ぶことができる。正GKも控えGKのところに真っ先に走っていく。「チームは一つ」だからだ。
いい話ではあるが、指導者の中にはこれをおかしな教訓にする人がいるのではないかと思う。

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例えば少年スポーツで、全く試合に出られない子供に
「ワールドカップ見ただろ、試合に出なくても一緒に喜ぶのが正しい姿なんだ。文句を言ってはいけない。チームのために試合に出ている子を応援するのがお前の役割なんだ」

こういうの危険だと思う。レベルの高いスポーツでは、控え選手にも高度な役割が求められる。いつでも正選手にとって代われるだけの準備が求められるし、正選手と同じポジションだからより具体的で適切なアドバイスもできる。いわば「控えのプロ」なのだ。

そういう選手は自分のチームに戻れば出場機会も活躍の機会もある。だからプライドも傷つかないし、モチベーションも維持できる。

しかし日本の少年スポーツではろくにチャンスも与えることなく「お前は控え」と引導を渡し、待遇も差別する指導者がいるのだ。控えに固定された子どものプライドは傷つき、モチベーションも下がっているが「チームのため」と必死に思い込もうとしているのだ。

ワールドカップような高いレベルの大会の「控え選手」「控えのプロ」と、少年スポーツの「万年控え」は、似て非なるものだ。
指導者はこのことをはっきり認識すべきだろう。青少年レベルのスポーツでは、指導者は全員に試合出場の機会を与えなければならないし、彼らのプライド、モチベーションを損なわないように配慮しなければならない。少年スポーツに「控えのプロ」はあり得ない。



NOWAR


1982・83年松沼博久、全登板成績

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