1938年生まれ、84歳だった。私にとってのMLB元年は1977年だが、この年まだ現役だった。

キャンベル大学から1958年19歳でサンフランシスコ・ジャイアンツと契約。

キャリアSTATS
G.Perry


1978年発行の米大リーグ26球団総ガイドには、パドレスの投手として載っているが、中年のおっさんそのものだった。

ジャイアンツで1964年から頭角を現し、8年連続で規定投球回数に到達。1970年には最多勝。決して出世は早くはなかったが30歳から持ち味を発揮した。
抜群のスタミナで、69、70年と300イニングを投げる。

1972年にはトレードでインディアンスに。移籍1年目に2度目の最多勝、サイヤング賞。1975年シーズン中にトレードでレンジャースに。さらに78年にはパドレスに入団し、この年3度目の最多勝と2度目のサイヤング賞。両リーグでのサイヤング賞は史上初。44歳まで投げた。

そうした表の記録だけでなく、ペリーと言えば「不正投球」で知られる。スピットボール、エメリーボールなどボールに付着物をつけたり、傷をつけたりして変化球を投げたと言われている。

スピットボールがMLBで正式に禁止されたのは1920年だが、それ以前に投げていた投手は引退するまで容認されていた。この緩い措置が尾を引いていたのだが、ペリーは40年近く後の投手であり、弁解の余地はないが、一度もバレなかったとされ、両リーグで初のサイヤング賞を取って1991年には殿堂入りしている。

ペリーはたびたび「コルゲートに感謝している」「ワセリンは具合がいい」など、挑発するような発言をしており、確信犯的だった。人種差別的な発言も目立ち、優秀な投手と言う以外では、アメリカによくいる保守的な白人というキャラだった。

ちなみに2歳上の兄のジム・ペリーも215勝し、サイヤング賞1回、最多勝2回の大投手。殿堂入りはしていない。彼は健在だ。


NOWAR


1982・83年松沼博久、全登板成績

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