日本野球がさらに変革したのは1990年代になって、アメリカへの人材流出が起こってからだ。
そのパイオニアの野茂英雄は「何でも上の言うことを聞かせようとする」日本野球の体質に反発し、振り切る形でMLBに移籍した。
野茂に続いた選手は「競争は厳しいが、自分自身で選択できる」MLBの環境、文化に大きな魅力を感じていた。この時期から一流の選手は「指導者の言うことを聞くのではなく、自分ですべてを決める、選択する」ようになったが、旧弊な日本野球は窮屈になっていった。

イチローが挑戦した当時のMLBは「マネーボール革命」が進行中で、球団に「野球をやったことがない」アナリストが入って、野球そのものを変えていった。さらにMBAを取ったような優秀なスタッフは、球団の企業価値を高めていった。「野球をやったことがある」スタッフはどんどんは死に追いやられていった。

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日本でも遅ればせながらセイバーメトリクスやデータに基づいた野球が根付いていったが、一方で体育会系の野球人も盤踞していて、自分が理解できないもの、気に入らないものを排除するような風潮も残っていた。
「野球をやったことがある」野球人は「反知性主義」「教条主義」の象徴のようになりつつあった。

筑波大学でバイオメカニクスを学ぶ大学院生などは、NPB球団の春季キャンプにインターンとして参加して、選手の動きをデータ化している。彼らの上司は球団の元野球選手上がりのデータスタッフだったりするが、ろくにパソコンも使えず、ゲームをしたりぼんやりしている。その結果、インターンは徹夜で報告書をまとめたりしている。

「野球をやったことがある」から、野球を語る資格があると言う人は「現役時代、自分より実績があった野球人」に頭が上がらない。引退後の仕事と何の関係もないはずだが、現役時代の力関係をそのまま引きずっているのだ。

端的に言えば「野球をやったことがある」ことを、引退後もひけらかす人は、すでに「語る資格」を喪失していると言っても良いのではないか。

私はプロアマの多くの野球人と話をする。それが仕事だからだが、彼らは現役時代の実績をひけらかしたりしない。また、野球経験の有無で対応を変えたりしない。「野球をしていたこと」と「野球を知っていること」は別のことだと知っているからだ。

フランス代表元監督のロジェ・ルメールは
学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない
と言った。結局、そういうことなのだろうと思う。私は教えはしないが、学ぶことはやめないでおこうと思う。


NOWAR


1982・83年松沼博久、全登板成績

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