先日、一場靖弘に話を聞いた。率直に言って、辛くて仕方がないインタビューだった。例の一件以来、彼の野球人生は「苦しいだけ」になった。
いわゆる裏金問題で、多くのバッシングを受けたのは、彼にも原因がなかったとは言えないが、当時の野球界の醜悪な構造が根本にあるのは間違いない。

しかし彼は現役時代を通じて、ファンの執拗なバッシングを受けた。おびえたような目をして野球を続けたのだ。

故障もあって8年で現役を引退してからの彼の人生も波乱に満ちたものだった。離婚や破産も経験した。今は少年野球で再起を目指しているが、一場には「どんだけ仕事を代わってるんだよ」みたいな誹謗中傷が今も続いている。日本人は「叩いても大丈夫」と思った人間には、容赦ないのだ。

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私が11年勤めた広告制作会社を退職するつもりになって社長に会いに行ったら
「お前は大した能力もないから、外へ出ても失敗する。一生俺に仕えると言う道もある」と言われた。私は上司の取締役に「社長の言葉でやめる決心がつきました」と言った。

確かにその会社を出てから所属する会社の倒産も経験したし、数百万の金を失ったこともある。「失敗した」と言えるだろうが、それでも何とか生きている。もし、失敗を恐れてその会社に残っていたら、今のような人生は歩んでいない。その後、私を慰留した取締役も会社を辞めている。
「失敗」はできれば避けたいところだが「失敗」を乗り越えることで新しい道も拓けるし、レジリエンスも強化される。
他人は「やめときゃいいのに」「馬鹿が失敗してら」と嘲笑するが、人の失敗を笑う人間は「失敗さえできない」とみることもできる。匿名でこの手の批判をする連中は、人間として終わっている。

前のブログで触れたが「雇用流流動性のない日本」では「失敗に対して不寛容」だ。組織の中では「功績を上げる」こともさることながら「失敗、破綻しないこと」が求められる。失敗すれば「なぜ失敗したんだ」と咎められる。「失敗してもそれに挑んだ勇気、壮気をほめる」風潮はない。これも、日本がダメになっていく一因だろう。

一場の話はいずれ記事にするが、私は「失敗しても立ち直る」人に敬意を抱く。人には「失敗する権利」もあると思う。



NOWAR


1982・83年松沼博久、全登板成績

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