このあいだの球辞苑は「パームボール」の特集だった。現役では阪神の浜地と広島の床田しか投げる投手がいないとか、ゲストの浅尾拓也が名手だったとか、興味深い話が続出だった。
帆足和幸はほぼこの球で飯を食っていたようだ。MLBでもトレバー・ホフマンなどが投げていたが、今はほぼ同じ効果があり、投法も簡単なチェンジアップに収斂されたと言う風な話があって、小山正明が登場した。

昔は綺麗な関西弁で解説をしていて、ラジオでよく聞いたが、最近は見たことがなかった。

野村克也より1歳年長、吉田義男より1歳下。88歳になる。かなり痩せていたが、聞き取りやすい口調は健在で、ちょっと感動した。
名優芥川比呂志にそっくりと言われた、彫りの深い顔を久々に見て感慨深かった。

小山正明と言えば、パームボールという印象が以前からあったが、小山はボールを指で挟む位置を変えることで「速いパーム」「遅いパーム」を投げ分けていたと言う。

1962年に一本足打法に転向した王貞治に打ち込まれると、翌年、小山はパームボールで王を抑えたと言う。
昔の技術論を今、改めて聞くのはしみじみ良いなあと思った。

キャリアSTATS

Koyama-Masaaki


高砂高校から大阪タイガースに。この高校から出たプロ野球選手は小山と神戸年男の2人だけだ。

全くの無名投手だったが、速球と抜群の制球力で台頭し、エリートの村山実と2本柱になったが、両雄並び立たずで1963年オフに山内一弘と「世紀のトレード」で東京に移籍。永田雅一がまだ鼻息が荒かった時代だ。

小山は東京、ロッテでもエースとして活躍。私が知っているのはこの時代だ。成田文男、木樽正明との「3本柱」が売りだった。このあとに村田兆治が出てくるわけだ。

320勝は金田正一、米田哲也に次ぐ史上3位。
もはや伝説だが、明晰な頭脳を感じることができて幸せだった。


NOWAR


1960~62年柿本実、全登板成績

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