坊主頭もそうだし、暴力パワハラ指導もそうだが、若いときにそういう野球を経験した人間は、時とともにそれが「甘美な思い出」みたいに変化して、熱烈な支持者になることがある。少なくとも自分の青春時代を否定することはない。
昭和の時代の高校では、野球部だけでなく、教師は普通に生徒を殴っていた。また「へたくそ!、できそこない!、死んじまえ」みたいな罵声も普通だった。
当時の学校には軍隊上がりの教員がたくさんいて、特に部活では怒声、罵声、暴力を振るっていた。
子どもの頭は当然丸刈りにして、おかしな校則でしばりつける。

中でも野球は「甲子園」という大イベントがあったから、大人たちの熱の入れ方が違った。「子どもは怠けたがるから、厳しくすればするほど選手は強くなる」「軍隊のように言うことを聞かせるのが、優れた指導者」という価値観でずっとやってきた。

しかし、こうした指導は「兵隊のような人間」を製造する。言われたことだけはやるが、自分ではなにも判断できない選手をたくさん作る。また「勝利至上主義」は、スポーツマンシップなど「スポーツの常識」からかけ離れている。
MLBとの距離が近くなるにつれて、アメリカ流の「自分の力で強くなる」「自分で判断してプレーをする」野球が知られるようになり、メジャーリーガーなどさらにレベルの高い選手を育成するには、軍隊式を捨てて新しいコーチングに移行する必要があることが明らかになってきた。

一方で、人権意識、コンプライアンス意識が高まる中で野球の「オラオラ指導」が忌避されるようになる。子供の主体性や個性を認めず、一律に練習を科したり、できない子供をベンチウォーマーに固定したり。特に母親は「いろんなスポーツがあるけど、野球だけはやらせたくない」と言うようになった。そして「丸坊主」は、「野蛮な野球」の象徴のようになった。

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今のプロ野球で選手に強圧的なノルマを押し付けたり、むりやりフォームをいじったりするような指導者は少数派だ。阿部慎之助のように「罰走」を科すコーチもいるが、「優秀」とされるコーチは、選手にヒントを与えるだけで、自分で気づいて努力するように仕向ける。「あれやれ」「これしろ」と言ってそれができるようになっても、選手の身に着かないからだ。

高校野球でも新しい指導者が次々と指導法を改革している。そういう学校では、レギュラーだけでなくすべての選手に成長を促すようになっている。高校野球の坊主頭がどんどん少なくなっているのは、それだけ指導も変わってきたからだ。

東海大菅生は、若林監督が「昭和の野球」を標榜し「褒めずに叱る」などスパルタ野球を推進してきた。もちろん全員坊主だ。その挙句に甲子園に出たに自分は首になって采配が振るえないと言う悲喜劇を招いた。

若林正泰と言う指導者は「時代を見ていなかった」ことになる。いつまでも自分が教わった古き良き「オラオラ野球」に固執して、その結果、アナクロニズムに陥ったわけだ。

それでも東海大菅生の野球、若林イズムを支持する人がいる。彼らは自分が厳しい指導で育ったから、今の連中もそうすべきだと言っている。そしてそれが「野球の正しい道」だという。これまでそうしてきたという以外に、何の根拠もなしに。

「俺たちはこのままでいいんだもんねー」というのは自由だが、そういう人間が周囲にいることが、野球の進歩を妨げている。
そういう人間に限って野球界の主か何かのように「嫌ならやめればいい」と平気でいう。

私は「野球をしたことがないのに何がわかる」と言われ続けてきたが、今、野球の競技人口が激減し、野球が嫌いな人が増えているのは「ここまで野球をしてきた人」の責任だ。彼らが何のアップデートもせず、先輩だと言うだけでマウントを取ってきた挙句に、野球界の衰退を招いたのだ。

「オラオラ野球」を「佳き思い出」にするのは勝手だが、今の野球の進化の邪魔をしないでほしい。所詮あなたたちには「わからない」のだから。



NOWAR


1960~62年柿本実、全登板成績

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