私が初めて回転寿司屋に入ったのは、大学生の時だ。もう40年も前だ。右京区の妙心寺と言う大寺院の南門の前に、回転寿司屋ができて、仲間といそいそと通ったものだ。
始めて行った女子大生が「何、これ!」と大声を出したのを覚えている。勝新太郎の事務所が近くにあって、中村玉緒が来たことがあると言っていた。

寿司の味を本格的に憶えたのは広告会社に入ってからだ。
社長に連れて行ってもらったお初天神の裏にあった寿司屋の寿司が驚くほど美味で、コピーライターの仲間と恐る恐る行ったのだ。その店は社長衆が行くような店だったが、美味い美味いと言うと親父が喜んでくれて、いろいろ教えてもらった。ウニが産地で味が全然違うのも食べ比べで理解した。あがりと共に出してくれる水ナスやべったら漬けが本当にうまかったのを覚えている。親父は職人気質で、出した寿司になかなか手を付けないと「寿司が乾く」と途端に機嫌が悪くなった。タバコを喫ってなかなか食べない女性客がいたときは、途中から話さなくなって「今日はしまいや」と言った。
私たちにはずいぶん安くしてくれたと記憶しているが、それでも結構な値段だった。しかしときはバブルで、30歳そこそこでもお金は持っていた。

最近の大型チェーンの回転寿司は、寿司飯が甘いし、ネタも載っているだけで握っていないから寿司とは思えない。わさび抜きもちょっとだめだ。元祖回転寿司と言われる東大阪の元禄寿司や、池袋の天下寿司などは、まだ食べられると思っている。
まわらない寿司は、最近、しゃりに赤酢を使って下地をつけない店が多いが、私は何がいいのかわからない。

コロナ後、回転すしのネタはめっきり質が落ちたと思う。魚の種類が少なくなったし、寿司以外のものが回る比率が多くなったように思う。魚にマヨネーズなどを塗りたくった寿司も多くなった。

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回転寿司で若者が馬鹿をやるのが社会問題化している。彼らは「寿司を食べている」とも「食事をしている」とも思っていないのだろう。ただ低レベルの仲間とつるんでいるだけだ。回転寿司も悪ふざけの道具に過ぎない。頭が悪いから、普通に考えれば「一発アウト」の馬鹿をやって、頼まれもしないのに拡散して墓穴を掘るわけだ。
要するに回転寿司の客層は、ここまで落ちたと言うことになる。高校生くらいだと思うが、寿司、食べ物への畏敬の念がない馬鹿は、人生が狂うほどの処罰をすればいいと思う。そうしないと馬鹿にはわからない。


NOWAR


1960~62年柿本実、全登板成績

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