中日ドラゴンズの親会社、中日新聞が売り上げ1000億円程度と、12球団で最も小さいことはすでに紹介した。
新聞社は将来がない業種と言ってよい。中日新聞は東京新聞やグループ合わせて発行部数250万部と言われるが、これはかなり怪しい。配達所に「押し紙」をする悪習があるとされるし、実売はせいぜい200万部程度か。それでも発行部数は讀賣、朝日に次ぐ3位であり、全国紙の毎日、サンケイ、日経より多い。
しかし全国紙が多くの不動産を持ち、キー局と資本関係があるのに対し、ブロック紙の中日は資産は中部地区に限定され、資本関係がある放送局はCBCなど地方局に限られている。
グループとしての力は、全国紙よりかなり小さいのは間違いないところだ。

そんな中日新聞社がなぜ、中日ドラゴンズと言うプロ野球チームを持つに至ったのか?それは讀賣新聞の正力松太郎が、中日新聞の前身である新愛知新聞と子会社の國民新聞に声をかけたのが始まりだ。当時新愛知と國民は別のプロ野球リーグの創設を考えていたがとん挫、正力が助け舟を出したことで名古屋軍となった。名古屋には既にライバル紙名古屋新聞が名古屋金鯱軍を創設。名古屋市に2球団が並立することとなった。
その後、親会社の新愛知新聞と名古屋新聞が新聞統廃合令によって合併し、中部日本新聞社になり、球団は名古屋軍だけが残り、中日となった。

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80年以上前の話だが、こうした歴史から中日は巨人、阪神と並ぶ「名門」という認識を持っている。中日新聞だけは「中日―巨人戦」を「伝統の一戦」と言っている。
プロ野球華やかなりしころは、中日新聞はドラゴンズで大いに潤った。しかし今は、年俸や経費をぎりぎりに詰めて運営している。バンテリンドームが中日新聞系列のナゴヤドームの持ち物なので、球場使用料がかからないのが大きい。
ドラゴンズを手放せないのは、それが「中日新聞の凋落」を決定づけるからだ。ドラゴンズは新愛知新聞の創業家である大島家がオーナーであり、昔の経緯をそのまま引きずっている。大島家の意地もあるのだろう。

中日新聞と読売新聞は、1975年に起こった「中部讀賣新聞不当廉売事件」などで不倶戴天の間柄になっている。後発の読売新聞は、各地方に進出して地元新聞と「戦争」と呼ばれる拡販競争を繰り広げている。大阪でも産経新聞の用紙をすべて買い占めて、やくざが暗躍する騒ぎになった。新聞は経営レベルでいえば非常に汚い業界であり、とりわけ読売新聞はそうだった。

プロ野球チーム、特にセ・リーグ球団が、他球団と仲が良くなく、足を引っ張るようなことをよくやるのは、新聞社上がりの幹部が経営者になっているからだろう。

そういう経緯もあって、中日ドラゴンズは、中日新聞にとって「意地でも守らなければならない子会社」になっている。
ドラゴンズは、よほどのホワイトナイトでも現れない限り、ない袖を振って運営するのだろう。



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1960~62年柿本実、全登板成績

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