昨日のキューバーオーストラリア戦、メディアでも評判が良かったようだ。日本が出ていないのに3万5000人もお客が入ったことも話題になった。
オーストラリアは、日本と同じGroupBで、4試合も戦った。日本には序盤から大差をつけられたが、韓国には競り勝ち、チェコ共和国、中国にも勝った。試合を重ねるうちに、選手はおなじみになっていき、ファンがつくようになったのだ。

またキューバはデスパイネ、モイネロ、ジャリエル・ロドリゲス、アリエル・マルティネス、ライデル・マルティネスと日本でプレーする選手が多数出場し、日本になじみがあった。

それもあって、両軍には大きな声援が飛んだ。

しかし、それだけではない。昨日の試合は、3.5万人ものお客が入りながら、応援団がいなかったのだ。
だから鳴り物はなかったし、リーダーの指示で「〇〇ホームラン」みたいな大声援が起こることもなかった。

観客席はみんなが思い思いに声をあげたり、拍手をしたりしていた。日本でなじみのデスパイネが出てくると大歓声になったし、このところちょっとした人気になっているオーストラリアの1番、ケネリーの娘がビジョンに映ると歓声が起こった。

もちろん、打球音やボールがミットに収まる音も応援団がいるときよりはっきりと聞こえた。

4-1になってオーストラリアが敗色濃厚かと思った矢先、オーストラリアのウィングローブが2ランホームランで1点差に迫ると、オーストラリアを応援する声が大きくなった。
「判官びいき」のようなものか?

9回、最後の打者としてダリル・ジョージが打席に立つとケネリーの娘が「レッツゴージョージ」のチャントを始めた。たちまちそれは、大きな声援となって球場を揺るがせた。
試合展開によって応援する選手も、掛け声も変わる。応援とは本来そういうものだろう。

お客はジョージが新潟アルビレックスやオリックスにいたことは、おそらく知らない。しかし1回にもう少しで本塁打と言う二塁打を打ったことで「頼りになる中軸」だと思って声援を送ったのだ。

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自然発生的な、人為的でないオーガニックな声援だったからこそ、球場全体がいい雰囲気になったのだ。試合終了とともに、どちらのファンからも大きな拍手が起こった。

人それぞれとは思うが、私はこっちの方が好きだ。「民族の祭典」みたいにみんなが同じ声を張り上げる応援は「試合の表情」を失わせる。

改めて「応援の在り方」に思い至った次第。

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1960~62年柿本実、全登板成績