10年ほど前まで、京セラドームでよく見かけた。
これは2010年に京セラドームで見かけたときのもの。

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関西弁のおばはんと何やら話し込んでいたが、関西弁だった。

キャリアSTATS

Barbon-R


革命前のキューバから日本に来たが、前年の1954年はブルックリン・ドジャース傘下のホーネル・ドジャース、ベイカーズフィールド・インディアンスでプレーしていた。D、Cクラスというのはマイナーでも下部だ。

ベイカーズフィールドではドン・ドライスデールとチームメイトだった。

阪急にやってきて、デビューから1番を打ち、河野旭輝と駿足コンビとなる。

打者としては非力だったが、抜群の駿足。河野が足がやや衰えた1958年から3年連続で盗塁王。
オールスターにも出場した。

1959年にキューバ革命が成立して、バルボンは帰国できなくなり、引退後も日本に残り、長く阪急ブレーブスのスタッフとして勤めた。
増山実さんの『勇者たちへの伝言 いつの日か来た道』には、バルボンの当時の境遇や考え方が描かれている。

通訳を長く勤めていたが、もともとスペイン語圏の人で英語は得意でなかった。日本語もそんな感じだったから、不思議な通訳になり、それが人気を博した。

ヒーローインタビュー。

外国人選手がお立ち台に上がると、バルボンさんが通訳に付く。

アナ「素晴らしい当たりの二塁打でしたね」

選手(英語)「いいコースにスライダーが来たので、うまく打つことができた」

バルボン(日本語)「うまいこと打てた、言うてるわ」

アナ「久しぶりのタイムリーヒットでしたね」

選手(英語)「少しチームに迷惑をかけていたので、打ててうれしい」

バルボン(日本語)「うれしいらしいわ!」

アナ「ペナントレースも大詰め、これからの活躍が期待されますが」

選手(英語)「ゲーム差はあるが、まだまだ優勝は不可能ではない。自分の仕事をやる」

バルボン(日本語)「がんばる、いうてるわ!」

アナ「〇〇選手が復帰すれば、打線が活気づきますね」

バルボン(日本語)「そやね!」


まあ不思議な人生だったが、良い人生だったのだと思いたい。


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NOWAR


1960~62年柿本実、全登板成績