このブログは「私が好きな野球」についてあれこれ書くだけのブログではない。もちろんそういう部分はあるが、同時に「野球の未来」について書いてきたつもりだ。
何度も言っているように私は野球経験者ではないが、野球という奥深いスポーツがあったおかげで人生は本当に楽しくなったと思っている。野球がこれからも人気のあるスポーツであってほしいし、多くの若者がこのスポーツを楽しんでほしいと思っている。

野球は151年前にアメリカからもたらされたが、その後、独自の発展をつづけた。日本ではプロ野球は長く誕生せず、大学、中等学校の野球が盛んになった。つまり野球は「教育の一環」だったから、当時の大日本帝国の教育方針に沿った形で独自の発展を続けてきた。早稲田大学監督の飛田穂洲が提唱した「一球入魂」は、その象徴だろう。野球は「武道」にならって「野球道」と呼ばれた。

一方で日本野球は、宗主国たるアメリカの野球との連携も続けてきた。ルールの改訂があれば1、2年後にはそれを反映してきた。大学野球はアメリカに度々遠征し、腕試しを行ってきた。

プロ野球は野球到来から64年目にようやくできた。讀賣新聞社の正力松太郎の肝いりだったが、創設時から「アメリカと世界決戦をすること」を至上の目的としてきた。

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戦後、日本の経済成長とともに野球は「ナショナルパスタイム」となった。高校野球、プロ野球共に多くのファンを集めるようになった。昭和の時代、プロ野球は外国人選手を受け入れていたし、数年に一度日米野球を行っていたが、どちらかと言えば「内向きの意識」が強くなった印象がある。高校野球も国民的な人気となるとともに「日本流のやり方」に自信を持つようになった。

日本の野球ファンの中に「日本には日本のやり方がある」という人が増えたのは、戦後のこの時期だったと思う。戦後も飛田穂洲は朝日新聞で論説を書いてきたし、メディアも「高校野球のすばらしさ」について讃えてきた。

しかし平成以降、アメリカに挑戦するプロ野球選手が増える中、野球界は再びアメリカに関心を向けるようになった。野茂英雄、イチローなどMLBでの成功者も出たが、うまくいかないで帰ってくる選手も多くなった。
1990年代半ばからMLBはビジネスモデルを変革し、あっという間に巨大化した。日本はバブルがはじけ「失われた20年」に入り、経済的にも低迷。日本経済の「付属品」であるNPBも低迷。MLBとの格差は広がった。

また、科学を無視した観念的な指導法や、暴力、パワハラなどの問題が噴出。「甲子園」を頂点とする青少年の野球が、必ずしも「野球の未来」に貢献していない実態が明らかになった。それとともに多くの有望な球児が「甲子園ではなくMLB」を目標にするようになった。
WBCは、そういう野球少年にとって、甲子園に代わる「新たなあこがれ」になっている。今回のWBCでの優勝は、日本人の真面目さと集中力を象徴しているが、だからと言って侍ジャパンの選手たちの多くは「NPBに留まろう」とは思わない。「通用するのならアメリカでやりたい」と思っている。高校球児たちも「日本野球は素晴らしいから、日本でやろう」とは思わず「WBCを経てMLBに行こう」と強く思うようになっている。

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さて、こういう状況の中でも一部に「何でもアメリカ流が正しいのか」「日本には日本のやり方がある」という人が根強く存在する。個人としてそう思うのは勝手だが、単なる無知、不勉強、そして偏狭なナショナリズムによって、あたかも「野球は日本だけのスポーツ」であるかのように言うのは、おかしくないだろうか。それは「不都合な真実を見ないようにする不誠実さ」ではないのか?

アメリカの野球なんか知らない、スポーツマンシップも知らないし、科学的なトレーニングも知らないけど「日本には日本のやり方がある」という主張に、何ほどの意味があるのか、と思う。


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NOWAR


1960~62年柿本実、全登板成績