スモールボールは日本のお家芸と言われてきた。日本野球の精神的支柱となった早稲田大学監督の飛田穂洲は「一球入魂」という言葉で有名だが、体格に勝る外国人を相手に日本が勝つためには、四球で出塁し、バントで送って転がして少ない点を取り、それをエース中心に守ることが大事だと言った。
アメリカでもベーブ・ルース登場以前の野球は「足で稼ぐ」スタイルが主流で、タイ・カッブのような俊足好打の選手がスターだった。
しかしルースが1920年代に「ホームラン革命」を起こして以来、MLBは「投げて打つ」おおらかな野球が主流になった。
2001年にイチローがMLBに移籍して「どんな球でも安打にする」技術の高さと俊足で「彼は、タイ・カッブの時代を思い出させてくれた」と言う評価を得る。ちょうど本塁打を量産していたバリー・ボンズらの薬物疑惑が明るみになりつつあっただけに、イチローのスタイルがMLBでは新鮮に映ったのだ。
イチローの登場は「スモールボールの復活」と言われた。

しかしここでいう「スモールボール」とは、日本野球の「自己犠牲をしてつないで守って勝つ」野球とは似て非なるものだ。
イチローは犠打でチームに貢献したわけではない。本塁打を打つ代わりに安打で出塁して、盗塁して進塁し、ホームに帰ってきたのだ。
タイ・カッブは
「50cm先に転がしたヒットと、50m先に飛ばしたヒット。この両方が同じヒット一本として扱われることは、野球のルールの最も素晴らしい部分だ」
と言ったが、イチローはまさにこれを体現したのだ。

イチローの成功で、日本球界は自分たちの野球が「スモールボール」として認められたと言ったが、そうではない。
日本野球は本塁打どころか安打さえ狙わずにボールを転がして、せこい点を取ろうと言うものだった。端的に言えば「選手の能力、可能性を信じない」野球と言ってもよいだろう。

その後MLBは「極端な守備シフト」「フライボール革命」とトレンドが変遷した。

MLBでも犠打は少ないながらも行われている。回が詰まってどうしても1点が欲しいときに、バントができる選手はそれをしているのだ。野球の選択肢として犠打(SH)を否定しているわけではない。

しかし日本は、走者が出たら1回でも送りバントと言う日本流「スモールボール」を続けてきた。
データに基づいているわけではなく「これが日本流の伝統」という頑迷な信仰によるものだったと言ってよい。

私が聞くたびに他人事ながら悔しく思うのは、少年野球で一度も打席に立ったことがない子供が、最後の最後に打席に立たせてもらって、監督がその子供に「バントのサインを出した」と言うエピソードだ。「バントを成功させて、僕の野球人生は終わりました」などと言う述懐を読むと、その監督は雷にでも撃たれて死んでしまえ!と思ってしまう。
自分のマネジメントのなさで、選手の出場機会を奪っておきながら、最後の最後に「お前はこれだけの人間なんだ」と不当に貶める。こういう指導者があたかも「名将」のように呼ばれる日本野球は何なのだと思う。

今回の侍ジャパンでは、甲斐拓也、中村悠平、源田壮亮が1回ずつ犠打を決めている。これは、試合の展開上どうしても必要な時に行っただけで、何でもかんでも送ったわけではない。
そして大谷翔平は、守備シフトの裏を衝くセーフティ・バントを決めて見せた、これなどタイ・カッブの名言のままのスーパープレーだった。

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侍ジャパンは「スモールボール」なんかもうやっていない。控え選手も含め、すべての選手の力を活かす野球をしている。栗山監督は、彼らをリスペクトし、その能力を活かす采配をしたのだ。

率直に言えば、古臭い野球指導者が「日本野球の勝利だ」みたいに言うのはまことに片腹痛いことである。

日本野球も進化しているのだ。

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NOWAR


1960~62年柿本実、全登板成績