今年の1月、横浜市内で高橋由伸の講演を聞いた。講演と言っても自ら話すのではなく、アナウンサーの問いかけに応じて答える形で、頭にあまり入ってこなかったのだが、最後の方で非常に心に残る話をした。

プロ野球選手ならほとんどの人が通る道ではあるが、高橋由伸も選手生活の晩年、レギュラーの座を外れ代打など控え選手になった。彼はここまでそういう境遇に一度もなったことがなかった。

「小学校低学年の時は高学年に混じってレギュラーだったし、中学でも高校でも大学でも1年生から上級生に混じって試合に出ていた。プロに入ってもいきなりレギュラーだったから、控え選手と言うのをこれまで一度も経験したことがなくてとまどった」と。

長嶋茂雄でさえも中学時代は体が小さくて控えだった時期があったし、王貞治だってプロ入り後、規定打席を外れたことがあった。
高橋由伸のような超エリートは珍しいのかもしれない。彼が監督として今一つの成績で終わったこととも関係するのかもしれないが。

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WBCでは、各チームのバリバリの主力選手が、控え選手に甘んじた。山川穂高は強化試合ではスタメンで出場したが、本選では大谷翔平と被ることもあり、先発は1度だけ。代打中心で7打席しかたたなかった。犠飛2本はさすがではあったが。
山川自身は叩き上げの選手で、レギュラー未満の時期には、春季キャンプで早出して守備の特訓を受けているのを見たものだが、本塁打王3度、MVPも受賞した不動の主軸打者になってからは、こういう経験は久々だっただろう。

アメリカに行ってからは出場機会は1打席しかなかったが、彼は「俺が出てくるときは負け試合だから、出ない方がいい」と念じていたと言う。
こういう経験、本当に貴重なのだろうと思う。
「試合には出るのが当たり前」「中軸を打って当たり前」「みんなに尊敬されて当たり前」
お山の大将のようになっていた選手が、自らよりもすごい選手を目の当たりにするとともに、自分の「我」を捨てて、ひたすらチームの勝利を願う。
DeNAの牧秀悟などもそうだろうが、こういう経験をするのは、長い野球人生を考えるうえで、必ずプラスになるのではないか。

春季キャンプを離脱し、オープン戦にほとんど出場しないままに開幕を迎えることになる侍戦士。特に控えだった選手は準備不足の懸念があるが、試合に出ないことで「学ぶ」ことも少なくなかったのではないか。

4月には多少へこむかもしれないが、その後の奮起を期待したい。


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1960~62年柿本実、全登板成績