犠打の問題は、それが有効かどうか、という問題だけではない。
そこで誰が、どんな作戦を選択するかの背景に様々な問題が存在している。
高校野球の初回、無死走者一塁で、考えるべきことはたくさんある。
相手投手はどんな投手か?エースか?難攻不落のエースか?それほどでもないのか?制球力は?球威は?フィールディングは?相手チームの内野は機敏か?
一塁走者は足はあるか?打席の打者はバントはうまいか?打撃は良いか?それとも非力な打者か?足が速いか?機敏か?後続打者は良く打つ打者か?打率は高いか?三振しやすいか?
さらには味方の投手はエース級か?よく失点するか?大量点が必要な投手か?
もっと細かい要素も含めて判断する材料はたくさんある。

それらを勘案して「犠打」「走者を進める打撃」「エンドラン」「自由に打たせる」などの選択肢から選択するのだ。
今の高校野球は、こうした局面でしっかり選択して、犠打を選んでいるのかどうか?「それが高校野球の常套手段だから」犠打を選んでいないか?「なぜ勝手に打たせるのだ?」と先輩の指導者から言われたくないので、安全策として定石を打ってはいないか?

IMG_0221


さらに言えば指導者は「選手は何を望んでいるか」も知ったうえで、判断をする必要もあろう。「安打を狙って自由に打つこと」よりも「送りバントをすること」が好きな打者はまずいない。しかしチームプレーであることを理解してバントをしているわけだ。

さらに言えば、こうした判断を「誰がするのか?」の問題。これまでは監督が采配を振るってサインを送っていた。選手を意のままに動かす監督が「名将」と呼ばれたが、最近の高校野球では、こうした判断を選手がするようになってきている。

佐藤洋監督の東北高校は甲子園でもそうしたようだ。
Liga Agresivaでは、選手にすべてを任せて監督はじっと選手を見ているだけの学校をよく見かける。Ligaでは犠牲バントを禁止にしているリーグも多いが、要するに犠牲バントは、常套手段過ぎて選手に思考停止を起こさせるという見方もあるのだ。

大きな試合では監督が指示を出す学校でも、練習試合では選手が自分で考えて作戦を選択する学校も出てきている。自分たちで考えて試合をした経験があれば、監督の意図がよりはっきりとわかるようになるからだ。

読者各位の中にはまったく知らない人もいるだろうが、最近の高校野球部では様々なシチュエーションでどんなプレーをするのが最適かなどについて統計学的な研究をしている選手もいる。野球科学研究会では、こうした発表が行われている。

IMG_6505


一生懸命「考えている」高校生もたくさんいるのだ。たった一つの「犠打」だって「教育」になるのだ。

結局「目先の勝利」に拘泥する指導者は、深く考えずに「犠打」を選択する。しかしその試合だけでなく「選手の将来」を考えるならば、初回、無死走者一塁の局面で、どんな作戦をだれがするのか、でも大きな違いが出てくるのではないか。

IMG_8429



私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!



NOWAR


1960~62年柿本実、全登板成績