「こども庁」を「子ども家庭庁」と改めさせたのは、私たちの功績です、みたいなことを旧統一教会が言っていたが、そのまんまスタートしてしまった。「真のお母さま」は喜んでいることだろう。
「こども家庭庁」は、新たな事業「こども若者★いけんぷらす」を始め、子供や若者1万人の声を集約して、事業に活用すると言う。
これ、新聞的には記事にしやすい言葉が並んでいるから、各メディアが一斉に取り上げたが、実際にはどんなことをするつもりなのか?

「子どもの意見を聞く」というのは、簡単な話ではない。子どもは大人よりも事実関係を把握する能力が乏しいし「何をしてほしいか」を明確に言えるとは限らない。それに考えが変わることもよくある。もっと言えば、自分の意見に責任を持つこともできない。
児童心理学を弁えた専門家がしっかりヒヤリングをしないと「子供の意見」をまとめることはできないだろう。

よくあるのは「子供の意見」を盾にとって大人が「自分たちがやりたいこと」を押し通してしまうことだ。

高校生の例ではあるが「球数制限」の議論が起こったときに、ある種の人々は「大人だけで議論するのは良くない、高校生の話も聞くべきだ」と言った。
もっともらしい意見だ。高校球児に「球数制限」について意見を聞けば、10中8、9は「球数制限は必要ない。自分が納得するまで投げさせてほしい」というものだ。事実、当時もそういう意見がたくさん出た。
「ほら見ろ」と一部の大人は言ったものだ。

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子ども、高校生は、大人に比べて「未来を予想する力」に乏しい。私はよく「一過性の馬鹿」だと言っているが、いろんな経験をしてそういう力がついてくるのだ。だから高校生や子供に意見を聞いて、彼らの言う通り物事を推し進めるのは、必ずしも正しいとは言えない。

こうした話を荻野忠寛さんとしていた時に、彼は「よちよち歩きの子供が道に飛び出したら、親は腕を引っ張って引き戻さないといけない。子供は未来が予想できないのだから」と言った。まさに至言だと思った。

「子供の意見を聞く」というのは、情報操作の匂いがプンプンするのだ。大人は全員、昔は子供だったのだから、子供の未来については、大人が責任をもって決めていくべきなのだと思う。
そのときに「自分たちのためではなく、本当に子供たちのために」動くことができる大人を「子ども家庭庁」に配置すべきだと思う。



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1960~62年柿本実、全登板成績