西部邁という保守の論客が「教養とは歴史に学ぶこと」と言ったことは以前紹介した。
あらゆる文物は「過去との連続性」で成り立っている。スポーツでも、文化でも「起源」があり、紆余曲折を経て現在に至っている。
ファンや専門家が、スポーツ、文化について語ることは、その連続性を知って「今」と「過去」を比較することである。
過去を知れば「今」目の前で起こっていることの意味や、価値がより理解できる。「すごい」「格好いい」だけではなく、その出来事が「歴史上どんな位置づけにあるのか、どういう価値があるのか」を論じることによって、より興味深い議論になっていくのだ。

大谷翔平のものすごい活躍についてもそうだ。彼のプレーは確かにずば抜けているが、何も知らない昨日今日のファンには、投手大谷、打者大谷の本当のすごさはよくわからない。他の選手と比較して「人より飛ばす」「速い球を投げる」ことはわかるが、それが「どれだけすごいか?」はわからない。ただ彼が男前の大男で、世間が騒ぐから、ムードで騒いでいるに過ぎない。そのことも非常に大事ではあるが。

大谷翔平の真価=本当のすごさ、は過去との比較によって際立ってくる。10勝10本塁打は1918年のベーブ・ルース以来とされる。そういう表層的な比較も重要だが、「2Way」が一体いつ以来なのか、MLBの原始まで遡って知ること。そして「なぜ2Wayが、行われなくなったか?」を知ることで、大谷翔平がいかに歴史から懸絶した存在かが分かる。

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「過去を知ること」は「価値を知ること」なのだ。過去を知れば、「今」がより深く、詳細に理解できる。この楽しさこそが「趣味」ではないかと思うのだ。

残念なことに、今の日本で最大の視聴者を有する地上波テレビは「こうした深い趣味的嗜好」に対応するのが苦手だ。「今、目の前で起こっていること」を「盛って」伝えて、必要以上に騒ぎ立てることしかできない。

「過去に学ぶメディア」はBSやCSなどの衛星放送、ネットなどに存在するが、その影響力ははるかに小さい。しかし「過去に学ばないメディア」が刹那的で、その文物の発展にはさして貢献しないのに対し「過去に学ぶメディア」は、その文物のコンテンツの一部となって、ともに歴史を作っていく。



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