ここ2場所、NHKの解説を休んでいる。1942年3月生まれだから当年81歳。一般人なら普通の年寄りだが、力士としては驚異的な長寿だ。

歴次横綱では、初代梅ケ谷藤太郎(1845⁻1928)が83歳、初代若乃花幹士(1928⁻2010)が82歳、栃ノ海晃嘉(1938⁻2021)も82歳で没している。間もなくこれらの先輩に追いつく年齢だ。

私が大相撲に夢中になり始めたころ、北の富士は玉乃島とともに横綱争いをしていた。大横綱大鵬が衰える中で「北玉」は、「栃若」以来の両雄並び立つ時代になると期待された。

1970年春場所、玉乃島と北の富士はそろって横綱に昇進する。玉乃島は師匠の名を継ぎ玉ノ海となる。「北玉時代」の幕開けだ。しかし1年後の1971年10月に玉ノ海が急逝する。小学6年生だった私は、夕刊の一面に載った記事を見て愕然とした覚えがある。

北の富士は、一人横綱として孤塁を守ったのちに、琴桜、さらには輪島、貴乃花の台頭まで土俵を守り続けた。
北の富士は評論家に余り評価されない力士だった。双葉山を神聖視する小坂秀二は、玉の海を双葉山の再来、理想的な力士と評した。重心が低く、抜群の下半身で相手の攻撃を受け止める取り口は「横綱相撲」と言われた。これに引き換え北の富士は腰高で、突っかかるような「かちあげ」が得意技だったから「横綱らしくない」と言われた。

当時はまだ明治大正の相撲を見ていた人が存命で、「北の富士は鳳谷五郎に似ている」と言う人がいた。鳳は常陸山、梅ケ谷、太刀山の時代の横綱だが「ケンケン(掛け投げ)」が得意で、速攻相撲ではあったが評価は高くなかった。私は「北の富士は鳳よりもいい力士だ」と思ったものだ。

北の富士はとにかくスピード相撲で、右腕をくの字に曲げて相手にぶちかます「かちあげ」で相手の上体を起こすと一気に土俵外に押し出したり、上手投げで投げ捨てたりした。一時期ライバルと言われた長谷川勝敏をかちあげ一発でKOしたこともある。
北の富士が貴乃花に速攻でのしかかって圧倒してもつれた相撲になり「庇い手、付き手」の論争が起こったのも、印象的だった。

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右手をくっと振って塩をまくのも格好良かったし、雲竜型の土俵入りもきれいだった。私はよく真似をしたものだ。

北の富士は出羽の海部屋で大関になったが、師匠の九重が出羽一門から分離独立した時に行動を共にした。分離後は高砂一門となるが、相撲界の反主流となり、苦労したようだ。ただ高砂一門の高見山をよくかわいがったとのことだ。

引退後は九重親方となり、千代の富士などを育てた。ただ、裏の顔としては「八百長の仕掛人」でもあったと週刊ポストの鵜飼克郎さんが暴露本を書いている。舞の海などの名前も出てくるし、相当ショッキングな本ではある。私は鵜飼さんとは10年来の付き合いだが、それも事実なのだと思う。NHKもそれを知って解説者に起用しているのだ。

清濁併せ吞む大相撲の社会で北の富士は65年も生きてきた。もはや歴史の証人だ。年とともに邪魔くさそうで適当なコメントになっているが、それも味だ。もう一度あの声を聴きたいと思う。


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