オールスター戦のセ・リーグ「阪神寡占」問題について。「好きなチームの選手がオールスターに出まくるのは、うれしいに決まっているじゃないか」「少々ダメな選手でも推してオールスターに出場させるのがファンというものじゃないか」みたいな意見が飛び交っているが。
プロ野球のファンって、そんなにレベルが低いのかと思ってしまう。

私は爺だから昔のプロ野球を知っている。1988年、南海ホークスの身売りが決まった直後の大阪球場の南海ー阪急戦では法被姿の塩辛声の阪急の応援団長が「ホークスさいなら―、福岡行ってまえ」と野次って客席がどっと沸いたものだ。その数日後に阪急の身売りも決まったのだが。

2004年、球界再編で近鉄の消滅が決まったときに、私がいた会社の南海ファンの社長は「やっと近鉄がなくなりよった。ホークスがなくなってからずっとうっとおしかったんや」と言った。私も南海ファンだから同意を求められたが、私は全くその気はなかった。

プロ野球は「ひいきチーム」がある方が楽しいに決まっている。勝った負けたで一喜一憂するのがプロ野球観戦のだいご味ではある。
しかし、野球の試合を長く見ているうちに、チームに関係なく「凄い選手」「格好いい選手」がいることにも気づく。そしてそんな選手にも注目し、好プレーには反応するようになる。

勝った負けたの勝負を続ける相手チームは「敵」ではない。「碁仇は憎さも憎し懐かしし」という川柳があるが、そういう相手ではないのか?勝てばうれしい負ければ悔しいが、同時に相手の健闘を「なかなかやるやん」と言える余裕があってしかるべきではないのか。永年のファンであるならば。

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どこかのチームのファンは、そのファンであるとともに「プロ野球ファン」「野球ファン」ではないのか?「うちのチームだけ、うちの選手だけよければよい」という了見の狭いファンは、一流と言えるのか?

おりしも今年は3月にWBCがあった。この大会ではNPB12球団から選ばれた選手、そしてMLBから来た選手も同じユニフォームを着て他の国と戦った。この時に阪神ファンは「阪神の選手だけ活躍してくれたらええ」と思ったか?巨人の岡本和真が起死回生の一発を打ったときには、虎キチも喜んだはずだ。WBCではみんな「野球ファン」になったのではないか?
それだけでなくチェコの選手の健闘や、メキシコのエスコバーの力投、アメリカのゴールドシュミットの長打にも「大したものだ」と感嘆の声を上げたのではないか。

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そもそも選手は「阪神」「巨人」「パドレス」などのチームの枠を超えて、みんな連帯した。そうしないと勝てないからだが、そうしないと「面白くない」からでもある。

「うちのチームだけ」「うちの選手だけ」とガチガチに思っているファンは、もう少し視野を広げ、ゆとりを持つべきではないか。視野を広げたからと言って「チーム愛」は色あせるわけではない。

オールスター戦を観戦すればわかるが、試合が終われば、セ・パ両リーグの選手はユニフォーム姿でグラウンドを一周する。楽しそうに話をしながら。私はこれを見るたびに「プロ野球っていいな」と思う。これ阪神の選手だけになったら、やる意義がなくなるでしょう?

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私がオールスターの投票ジャックを問題視するのは、寡占状態を作ったチームのファンが「俺たちはこんなに自己中なんだ」「こんなに視野が狭いんだ」と世間に喧伝する結果になっているからだ。

オールスター戦はファン投票だけでなく選手間投票や監督推薦などでも選手を選ぶ。それでバランスをとっているのだが、ファン投票がいびつでおかしな結果になるのは、それだけ今年の野球ファンの「質」が低いことを意味していることにならないか?

そこを問いたい。




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