メディアに記事を書くと「勝利至上主義を否定しながら、あのチームは勝てないとか書くなんて、矛盾している」という指摘をされることがある。重要な話なので、改めて説明しておきたい。
そもそもスポーツとは「体を動かしてゲームをすること」だ。「ゲーム」は「勝負事」のことだから、スポーツとは「体を動かして勝負事をすること」になる。「勝負事」だから、競技者は当然、勝ちを目指すことになる。
スポーツは「勝ちを求める」ことなのだ。
なんだ、やっぱり「勝利至上主義じゃないか」と言われるかもしれないが、似て非なるものなのだ。

「勝利至上主義」は「勝つためにはなんだってする」主義のことだ。
1つの勝利のために選手を酷使することもいとわない。反対に、レギュラー選手を固定して控え選手にチャンスを与えなかったり、相手チームの選手を威嚇したりする。相手チームは「敵」であり、勝ちさえすればなんだっていい。「勝つことでプレッシャーに打ち勝つ『根性』ができる」などと称する。審判の判定に不満があれば、それを隠さないし、判定に対して執拗に抗議したりもする。
要するに「あらゆる手段を使って自分の勝ちだけを追求する」という考え方だ。「1戦必勝」のトーナメントではしばしばこういう「勝利至上主義」が露骨に表れる。
スポーツにおける「勝ちを求める」姿勢は、基本的に「自分が勝利のために全力を尽くす」ことを目的にしている。また「相手も勝利を求めている」ことを理解し、互いに存分に力を出すことを認め合う。相手が素晴らしいプレーをすれば、それを讃えることもする。チームメイトと勝利を分かち合うために、出場機会を与えることもある。また「どんなに頑張っても負けることがある」ことを理解し、敗北した際には潔く負けを認め、勝者を讃える。その覚悟が常にある。
「勝ちさえすればいい」のではなく、その試合が「スポーツ」であることが前提になるのだ。
日本人は「そんなきれいごとを言って勝てるか」という人が多いが、スポーツは「きれいごと」だ。戦争でも博打でもない。汚い勝ちなど価値はない。
その前提を知らない日本の選手が海外に行って、大恥をかいたりするわけだ。
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先発全員奪三振達成投手/1994~2023
スポーツは「勝ちを求める」ことなのだ。
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1つの勝利のために選手を酷使することもいとわない。反対に、レギュラー選手を固定して控え選手にチャンスを与えなかったり、相手チームの選手を威嚇したりする。相手チームは「敵」であり、勝ちさえすればなんだっていい。「勝つことでプレッシャーに打ち勝つ『根性』ができる」などと称する。審判の判定に不満があれば、それを隠さないし、判定に対して執拗に抗議したりもする。
要するに「あらゆる手段を使って自分の勝ちだけを追求する」という考え方だ。「1戦必勝」のトーナメントではしばしばこういう「勝利至上主義」が露骨に表れる。
スポーツにおける「勝ちを求める」姿勢は、基本的に「自分が勝利のために全力を尽くす」ことを目的にしている。また「相手も勝利を求めている」ことを理解し、互いに存分に力を出すことを認め合う。相手が素晴らしいプレーをすれば、それを讃えることもする。チームメイトと勝利を分かち合うために、出場機会を与えることもある。また「どんなに頑張っても負けることがある」ことを理解し、敗北した際には潔く負けを認め、勝者を讃える。その覚悟が常にある。
「勝ちさえすればいい」のではなく、その試合が「スポーツ」であることが前提になるのだ。
日本人は「そんなきれいごとを言って勝てるか」という人が多いが、スポーツは「きれいごと」だ。戦争でも博打でもない。汚い勝ちなど価値はない。
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先発全員奪三振達成投手/1994~2023
トーナメントも多いアメリカのリトルリーグでも、保護者からの暴言によって審判のなり手が不足しています。
そもそもが中世の馬上槍試合を語源に持つ、生き残りの制度。
負けないことに過度に適応させる組織や個人が生まれるのも必然でしょう。
スポーツの本質からして、機会の不平等が前提となるこの仕組みはおかしい。
「勝ったって負けたって次も試合はあるし大した違いはない」
と感じる制度の構築が若年層の競技環境には必要です。
教養ある競技者を増やす取り組みと同時に、制度で人格の形成を導く改革に期待します。
baseballstats
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