ジャニーズ問題の本質は、醜悪な小児性愛者にあったのではなく、その跳梁を許したメディアの側にある。
NHKがクローズアップ現代で、ジャニーズ問題をこれまで看過してきたNHK,メディアの姿勢を取り上げ、反省する番組を流した。そういう意味では、この番組は評価できるが。
出てくる放送局の幹部の表情は硬く、緊張しているのが見て取れた。つまりそれだけの覚悟を持って話をしたのだろう。
しかし一方で「ここまでのところは言っても良いことにしよう」という申し合わせも当然あったと思う。
この番組は「ジャニーズ問題」を深堀りしたり、問題の背景まで含めたさらに大きな報道をするために作られたと言うのではなく、新聞、テレビメディアへの批判がこれ以上燃え広がらないようにするために作られた、免罪符的な番組だと思うからだ。
「ほら、こうしてお偉いさんが謝ったのだから許してください」
NHK、テレビ、芸能雑誌などがジャニーズ事務所を恐れ、阿り、忖度し、最大限の気配りを見せていたのは間違いのないところだ。それが、文春やBBCの執拗な報道で暴かれたことは大きな成果だとは思う。「パンドラの箱が開いた」と書いた人がいたが、そうなのかもしれない。
しかし、このパンドラの箱にはジャニー喜多川だけが入っていたわけではない。他の芸能事務所や芸能人、歌手やミュージシャン、さらにはスポンサー、政治家や、よくわからない権力者まで、新聞やテレビが正面切って報道できない「気を遣う対象」が、ぎっしりと詰まっているのだ。

何度も言うが、新聞、テレビなどのメディアは「報道機関」と呼ばれてきた。民主国家に住む国民にとって重要な「知る権利」を代行する機関として「取材権」を与えられ、どんな組織のどんな人物にでも取材できる特権を有してきた。そうした特権は、国民の負託だったのだが、マスメディアはこれを自分たちの営利のために利用してきたのだ。
他からの参入を防ぐために「記者クラブ」という「同業組合」を作って「知る権利」を独占し、そこでいい加減なことを続けてきたのだ。
欧米でも権力とメディアの癒着はいくらでもあるが、行き過ぎれば他のメディアが叩くし、内部告発も起こる。そういう暴露はスクープであり報じたメディアやジャーナリストは評価が上がるのだ。
しかし日本はそうはならない。記者クラブのメディアは互いの利権のためにスクラムを組んで、自分たちのビジネスモデルを守ろうとしている。
日本のメディアがそうなるのは、一つには本来の報道だけでなく、営利事業を幅広く展開していることがある。新聞社は、旅行会社や貸しビル業、駐車場などを展開している。テレビ局も住宅展示場からゴルフの練習場などいろいろやっている。落ちぶれたディレクターや記者がこういうところに回されて浮かぬ顔をしているのはよく見るところだ。
大新聞社は本社ビルを建てるために、政府から一等地を格安で払い下げてもらった経緯がある。そこから癒着が始まっていると言ってもいい。
また、新聞、テレビともに営利目的のイベントをたくさん行っている。その最たるものが高校野球であり、プロ野球だ。
もう一つ、日本の報道機関は、新聞とテレビが資本関係を持つグループ会社になっている。これをクロスオーナーシップと言うが、これによって新聞がお世話になっているスポンサーのネガティブ情報はテレビでも報道しずらくなる、というような事態が起こる。テレビと新聞が一体化することで、忖度する対象が増えて、モノが言いにくくなっているのだ。
田中角栄はこのクロスオーナーシップを利用して「放送局に対する業務停止命令・電波停止」をちらつかせ、不都合な報道を抑え込んだ。田中角栄が失脚したのは、立花隆らのスクープがきっかけだったが、これも文春だった。
アメリカでは「報道の独立性」を担保するためにクロスオーナーシップを法律で禁じている。しかし日本ではそうした法規制は全くない。
結果的に日本のメディアは「国民の側」ではなく「体制側」に立って、権力者の体制維持に消極的ながら貢献してきた。それはサンケイ、讀賣から朝日、毎日まで変わらない。
メディアは
「ジャニー喜多川という悪い奴は今はいません。私たちはジャニーに脅されてモノが言えませんでしたが、これからはそうではありません。これからは国民のために健全な報道をしていきます。大丈夫です」
と言いたいのだが、ジャニー喜多川はちっぽけな妖怪にすぎない。新聞、テレビは「怖い人、怖い権力」におびえながらこれからも「報道している振り」を続けていくのだ。信頼感はますます低下するだろう。
我々は今後も、新聞やテレビ報道をまずは疑い「彼らが伝えていないこと、伝えられないこと」を知る努力をしていかなければならない。
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先発全員奪三振達成投手/1994~2023
しかし一方で「ここまでのところは言っても良いことにしよう」という申し合わせも当然あったと思う。
この番組は「ジャニーズ問題」を深堀りしたり、問題の背景まで含めたさらに大きな報道をするために作られたと言うのではなく、新聞、テレビメディアへの批判がこれ以上燃え広がらないようにするために作られた、免罪符的な番組だと思うからだ。
「ほら、こうしてお偉いさんが謝ったのだから許してください」
NHK、テレビ、芸能雑誌などがジャニーズ事務所を恐れ、阿り、忖度し、最大限の気配りを見せていたのは間違いのないところだ。それが、文春やBBCの執拗な報道で暴かれたことは大きな成果だとは思う。「パンドラの箱が開いた」と書いた人がいたが、そうなのかもしれない。
しかし、このパンドラの箱にはジャニー喜多川だけが入っていたわけではない。他の芸能事務所や芸能人、歌手やミュージシャン、さらにはスポンサー、政治家や、よくわからない権力者まで、新聞やテレビが正面切って報道できない「気を遣う対象」が、ぎっしりと詰まっているのだ。

何度も言うが、新聞、テレビなどのメディアは「報道機関」と呼ばれてきた。民主国家に住む国民にとって重要な「知る権利」を代行する機関として「取材権」を与えられ、どんな組織のどんな人物にでも取材できる特権を有してきた。そうした特権は、国民の負託だったのだが、マスメディアはこれを自分たちの営利のために利用してきたのだ。
他からの参入を防ぐために「記者クラブ」という「同業組合」を作って「知る権利」を独占し、そこでいい加減なことを続けてきたのだ。
欧米でも権力とメディアの癒着はいくらでもあるが、行き過ぎれば他のメディアが叩くし、内部告発も起こる。そういう暴露はスクープであり報じたメディアやジャーナリストは評価が上がるのだ。
しかし日本はそうはならない。記者クラブのメディアは互いの利権のためにスクラムを組んで、自分たちのビジネスモデルを守ろうとしている。
日本のメディアがそうなるのは、一つには本来の報道だけでなく、営利事業を幅広く展開していることがある。新聞社は、旅行会社や貸しビル業、駐車場などを展開している。テレビ局も住宅展示場からゴルフの練習場などいろいろやっている。落ちぶれたディレクターや記者がこういうところに回されて浮かぬ顔をしているのはよく見るところだ。
大新聞社は本社ビルを建てるために、政府から一等地を格安で払い下げてもらった経緯がある。そこから癒着が始まっていると言ってもいい。
また、新聞、テレビともに営利目的のイベントをたくさん行っている。その最たるものが高校野球であり、プロ野球だ。
もう一つ、日本の報道機関は、新聞とテレビが資本関係を持つグループ会社になっている。これをクロスオーナーシップと言うが、これによって新聞がお世話になっているスポンサーのネガティブ情報はテレビでも報道しずらくなる、というような事態が起こる。テレビと新聞が一体化することで、忖度する対象が増えて、モノが言いにくくなっているのだ。
田中角栄はこのクロスオーナーシップを利用して「放送局に対する業務停止命令・電波停止」をちらつかせ、不都合な報道を抑え込んだ。田中角栄が失脚したのは、立花隆らのスクープがきっかけだったが、これも文春だった。
アメリカでは「報道の独立性」を担保するためにクロスオーナーシップを法律で禁じている。しかし日本ではそうした法規制は全くない。
結果的に日本のメディアは「国民の側」ではなく「体制側」に立って、権力者の体制維持に消極的ながら貢献してきた。それはサンケイ、讀賣から朝日、毎日まで変わらない。
メディアは
「ジャニー喜多川という悪い奴は今はいません。私たちはジャニーに脅されてモノが言えませんでしたが、これからはそうではありません。これからは国民のために健全な報道をしていきます。大丈夫です」
と言いたいのだが、ジャニー喜多川はちっぽけな妖怪にすぎない。新聞、テレビは「怖い人、怖い権力」におびえながらこれからも「報道している振り」を続けていくのだ。信頼感はますます低下するだろう。
我々は今後も、新聞やテレビ報道をまずは疑い「彼らが伝えていないこと、伝えられないこと」を知る努力をしていかなければならない。
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歴史なんかお手の物なんだから、ギリシャにおける男色のプラトニック・ラブとか、日本に昔からある稚児文化から始まって、少年愛について文学作品なんかで取り上げられていることなんかまで掘り下げて、日本ではこの類のことは看過されやすい土壌があったというようなところに持ってきて、最終的に現代社会ではなぜいけないのか、というところに結論を導く、というような。
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が
しました