農産物で「昔ながらの手作りで、一つ一つ丹精込めて作りました」的なメッセージをよく見かけるが、今どき、昔ながらの農法で農産物を作っているのは「趣味の園芸」「年寄りの楽しみ」レベルの農業であり、本格的な農家ではないはずだ。
今の農家に「昔のような農作業と、今の機械を使った農業とどちらが良いか」と聞けば、ほぼ100%が今の農法を支持するだろう。すくなくとも「プロの農業」では、日本の伝統的な農業の「技術」は、すでに過去のものになっている。

同様に、これまで「長くつらい修行の果てに会得できる」とされた職人技が、次々と「分かりやすいノウハウ」になって、誰にでも短期的に習得できる「技術」になろうとしている。
その最たるものが「寿司職人」だろう。

東京寿司アカデミーのような教室では150万円ほど払えば、半年から1年で、寿司・和食の技術を 網羅的に学ぶことができる。こうしたアカデミーで学んだ人間がわずかな期間で開業し、中にはミシュランの星を獲得する人も出てきている。

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寿司屋の修行と言えば、寿司店に入って食器洗いや下ごしらえ、煮方などのステップを時間をかけて習得し、親方との師弟関係の中で短くても数年、長ければ十数年で「のれん分け」ということになる。そうしなければ、一人前の寿司職人になれないとされたのだ。

また大工仕事なども工具の進化やデジタル技術の活用などで、大幅に変化している。

確かに日本の「職人仕事」は、精緻な技術を代々つないできた「無形文化財」だと言えるが、同時に、その伝統に胡坐をかいた「親方衆」が、若い人の台頭を抑え込み、自分たちの地位を安泰にしてきたという側面がある。

野球で言っても厳しい「師弟関係」でハードな練習を強制する文化が長々と続いてきた。ゴロをシングルでとれば「腰を落として正面で取らんか」と叱責される。問答無用で従わなければならない。
こうした日本野球の伝統も、どんどん変化しつつある。
意識高い系の選手は、自分でデータを調べてどんどん進化していく。指導者に必要なのは、自分で学ぶことを始めた選手を励ますことになっている。

大きな話をすれば、今の日本の「停滞」は「伝統に胡坐をかく親方衆」的な年長者が、若者の進化を阻んでいたからだともいえる。

1年足らずの寿司アカデミーでの勉強を経て、すし屋になった若者の寿司を是非食べたいと思う。その寿司は「未来の希望」を感じさせる味なのではないか。



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