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スポニチ
【落合×広岡達朗対談】落合氏も広岡氏も“違和感”を感じている「違和感」にそれぞれ持論

91歳の広岡は、歩行がやや困難になっているようで、介添え人がついているという。杉下茂は90歳を過ぎてもプロ野球の現場やキャンプに足を運び、ブルペンで投球を見ていたが、広岡が現場に足を運ぶことはなくなっているだろう。

ここ10年以上、テレビメディアでも発言していない。

本人はいたって頭脳明晰のようだが、今の野球界についてはプロもアマも含めて、全くの部外者になっている。
端的に言えば「昭和の野球」の世界の住人が「令和の野球」について、あれこれ言っているわけだ。違和感しかない。

「野球があって人間ができてるいうことを感謝せな。当たり前だと思うとるもん!今のやつはね、三振しようが何しようが平気。俺が一番不愉快なのは“楽しみました”。俺はあれ、間違いだよ。だから、どこのスポーツでも楽しみながらやるとかね、あれは勘違いよ。一生懸命やらにゃ!」

スポーツはもともと「健康で文化的な生活」を送る手段として発達した。「楽しむ」は、スポーツにとって一番重要な要素だ。
プロスポーツは、スポーツをする事によって収入を得ることだが、それでも選手は、自分自身の目標に向けて努力し、相手チームと対戦することを「楽しむ」ことが必要だ。

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芸術でも、スポーツでも、そしてビジネスでも、努力をし、競争に打ち勝つことを求められるが、それは強制されたものではないし、難行苦行でもない、自分で選択した道で頑張ることは、それすなわち「楽しむこと」であるはずだ。

しかし「昭和の野球」では、金を貰って野球をする事は「修行」であったり「我慢」であったりした。スポーツは誰かに強制されて苦しい練習をして、我慢の果てに勝利をつかむ者だったのだ。
社会全体が「ブラック」だったのだから、仕方ないのだが。

「楽しむこと」と「楽をすること」は、同じ「楽」と言う字が入っているが、全く異なっている。今の選手は、自らの意志でハードトレーニングをし、肉体的なきつさも「楽しみ」に変えている。

だから今のプロ野球選手はことあるごとに「楽しむ」というのだ。

昭和の時代の「やらされる努力」とは次元が違うのだ。91歳の広岡にそれを言っても仕方がないだろうが、中には「そうだそうだ」と言う人もいるのだと思うとうんざりする。



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