このところホテルに泊まって東京ドームに通っている。相変わらず東京の電車は込み合っているが、車中では様々な会話が聞こえてくる。
「課長がずっとからんでくるんだよ。もう終わった案件なのに、何こだわってるんだよ」
「報告書の問題じゃないの、そこに課長の名前入れたでしょ」

別の年配のサラリーマンは
「いや、おたくの若い衆には本当に助けられたよ。良く動くねー」
「いや、身体が動くだけで、頭は回らないんだけどねー」
「若いうちはそれでいいんだよー」




この手の会話、私もよくやっていたなと思う。少し懐かしい気もしたし、まだこんなことやってるんだ、とも思った。
ただ、私はその世界にはもう戻れないのだ、と思うとちょっと愕然とした。私は60歳を超えているから会社に戻っても、席はないだろう。あっても嘱託とか非正規とかで、正社員各位と対等に話すことはできないはずだ。働く時間帯も違うだろうし。そう思うと、懐かしい感じもした。
「日本の会社」は、2~3日着古した下着みたいなかんじがする。体臭が染みついていて嫌悪感もあるが、生暖かくて、居心地がいいのだ。

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会社帰りにちょっと一杯というの、よくやった。居酒屋のカウンターに座って「とりあえずビール」。今も毎夜、何百万人もの人が、日本中の飲み屋でこの言葉を吐いているだろうが、この魔法の言葉で会社人間は、気持ちがほどけて、プライベートな気分になるのだ。
「で、どうなのよ?」「最近どんな感じ?」みたいなアバウトな問いかけからだらだら会話が始まり、どうでもいい時間が2時間ほど続いて、数千円の金を払って、酔っ払いが出来上がると言う寸法だ。

これ、おそらく明治以前、江戸時代から同じことをやってきたのだ。何とか藩の藩士みたいなのが暖簾をくぐって居酒屋に入り、柳樽の腰掛に座る。そして徳利を傾けながら「で、いかがでござるな、御同役」とか「今度のお役目は、いささかきつうござったな」みたい会話をだらだら続けたのだ。

藩士、サラリーマン、日本の国は名前こそ違え、こうした「ずっと同じところにいる勤め人」によって出来上がってきた。5年後も10年後も同じことをしているような、多くの平凡な人々が、決まりきった仕事を積み重ねることで、日本の国は成り立ってきた。

そういう時代は、どうやら終わりそうなのだ。終身雇用も、年功序列もなくなり、世の中は「競争社会」になっていく。とりあえずビールもなくなりつつあるし、家にすぐに帰りたくない社員たちが、意味のない時間を過ごすような習慣も終わりつつある。

それはいいことではあるだろうが、この「緩い時間」が醸し出す、何とも言えない空気が、少し懐かしいような気もしているのだ。


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