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今回の松本人志の「文春砲」に関して、コメンテーターの中には「結局、雑誌を売るために報道しているんですね」みたいなことを非難がましく言っている人が散見される。何を言っているのかと思う。
コメンテーターが出ているテレビ番組も、スポンサーに広告を買ってもらって成立している。間接的ながら「番組を売ることで」成立している。コメンテーターもMCも「お金を貰って」出演している。当たり前の話だが、全部「商行為」だ。法に触れない限り、商行為、商売はどのような形であっても許される。

週刊誌は、他の雑誌メディアと同様、人が読みたくなるようなコンテンツを書いて販売をしている。人が読みたくなるコンテンツには、いろいろあるが、ゴシップ(醜聞)もその代表的な一つだ。「他人の不幸は蜜の味」というが、著名人、権力者が、事件に巻き込まれたり、反社会的な行為を起こしたりするのは、読者にとっては大いに好奇心をくすぐるから、格好のコンテンツになる。
大事なことはそのゴシップが「本当のこと」あるいは「本当だと考えられること」、そして報道が社会的な倫理観に照らして「妥当であること」だ。

多くのゴシップは表ざたにはならない。だから密告者がいたり、調査をしない限りは明るみには出ない。それにガセネタもなくはないから、誤報になったり、名誉棄損などで訴えられることもある。しかし、だからと言って切っ先を鈍らせると、良いゴシップ記事を書くことはできない。

良いゴシップ記事とは、権力者、人気者、富裕層などが、一般の人々には隠しておきたい違法行為、非常識、アンモラル、あるいは過剰な贅沢などだ。違法性がある場合もあるが、倫理的に見て問題があるものもある。
こうした特権階級のヤバい行為の記事を読むのは一般人は大好きだ。
そしてメディアが、特権階級のこうした不行跡を暴き立てることは、権力者の逸脱行為に対する抑止力にもなる。自由主義社会では、雑誌メディアが書くゴシップは、言論活動として重要だと言ってよい。
例えば中華人民共和国やロシアなどでは、習近平、プーチンが裏で何をやっているのか、どんな日常生活を送っているのかは、全く伝わらない。それを探ろうとするメディアは弾圧されるし、記者は下手をすれば命を失いかねない。

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こういうゴシップ記事が書けると言うのも、自由主義社会ならではなのだ。

もちろん、いい加減な取材、あるいは事実の捏造は、あってはならない。大手の雑誌社はともかく、中小、零細ともなれば取材力もないので、こうした「ガセ」を書くことも多い。
我々読者は記事の真贋を見抜くリテラシーが必要になるし、劣悪なメディアは排除すべきではある。

しかし「週刊誌は全部いい加減」とか「雑誌の記事は信用に足りない」というのはおかしい。
今の新聞、テレビメディアは恐らく雑誌よりも多くの「権力者の裏情報」を知っているが、権力者に気兼ねをして「ほとんど出さない」。知っていることで権力者に貸しを作って、特別の取材を引き出すなど、権力との癒着が激しくなっている。

良質のゴシップは、常に社会性を帯びている。ジャニーズの問題にしても、松本人志の問題にしても「社会的弱者、女性の性被害」という普遍性のある問題を鋭く指摘しているのだ。社会を少しでもましなものにするために、こうしたゴシップは必要だ、ともいえよう。

玉石混交の雑誌が存在する社会は、健全な社会だ。そして彼らが「売るために」、表には表れないゴシップを探し回ってうごめく社会は「極めてまとも」だと言えるのだ。


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