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プロ野球選手をどう呼称するか、というのは割と難しい問題だ。その人との距離間の問題もあるし、それが文章なのか、会話なのか、そしてどんなメディアなのかにもよるだろう。
私がブログや記事などで選手について書くときは、呼び捨てだ。あくまで「プロ野球」という「商品」について言及しているのであり、敬称は不要だ。
しかし、選手にインタビューした時の記事中では

「〇〇選手は、日頃どんな練習をしていますか?」と筆者は聞いた

みたいに敬称として「選手」をつける。「〇〇は」というと、こちらが立場が上のように見えるし、違和感がある。
文中で選手を呼ぶときは、とにかく「読み手に違和感を与えない」「そこで立ち止まらない」ようにする配慮が必要だ。

ヤフコメなどをみていると「〇〇選手頑張ってほしいです」と敬称として「選手」をつけているのをよく見る。「〇〇、頑張ってほしい」でもいいと思う。やや過剰かなとは思うが、その人の考えではあろう。

違和感があるのは「〇〇君も成長したね」みたいに「君付け」するコメントだ。「君」は目下の人への呼称だし、普通はかなり親しい間柄で使う言葉だ。下手をすると「子ども扱い」とも受け取られかねない。
よく有名人とあたかも知り合いであるかのように親し気に振舞う人がいる。そういうたぐいだろうが、割とみっともない。
コメントなどでこの言葉を使う人は、ひいきのチーム、選手に「勝手に親近感を抱いて」そう言っているのだろうが、「馴れ馴れしい」「誰やねん、お前は」みたいな突込みが来てもおかしくない。

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しかし直に選手に会ったときは「〇〇選手」は礼儀の内ではある。昨日、私はソフトバンクの春季キャンプを見ていたが、ブルペンから引き揚げる選手にファンがサインをねだっていた。
子どもが「モイネロ、サイン」と色紙を突き出していた。キューバ人のモイネロには「さん」も「君」も「選手」もないだろうが、こういう子どもは、育ちが悪いように見えてしまう。

昔の大阪球場では「蓑田、サインくれや」と金網越しに言う子どもがたくさんいたが、場末感が漂ったものだ。

今思い出したが、寄席の出演料を噺家に封筒で渡すときは「〇〇御師匠様」と大層に書いたものだ。噺家の中には封筒の中身を見て「御師匠様で5千円かい」という人もいた。こういうのは虚礼かもしれない。

「呼称」の問題は日本だけのことではある。ファーストネームで呼び合うアメリカでは別の作法があるのだろうが、人を何と呼ぶか、だけで「お里が知れる」のだ。


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