小学校に入ってから新聞を読み、テレビでスポーツ観戦をするようになったが、小学校の6年の間、「日本の国ってずっと変わらないな」と思っていた。
プロ野球ではずっと巨人が優勝していた。大相撲では大鵬ばかり優勝していた。
元号はずっと昭和、そして政権は自民党、総理大臣は佐藤栄作、安倍晋三の大叔父だ。「団十郎張り」と言われた目玉の大きな政治家で、系統的には兄の岸信介ではなく、吉田茂の「吉田学校」の優等生だった。
改めて調べてみるとこうだった。
私は1966年の4月に小学校に入り、71年の3月に卒業したが、この間、巨人はV9の継続中。1965年から73年まで優勝しただけでなく、日本一にもなっていた。監督は言わずと知れた川上哲治。王貞治と長嶋茂雄のONに1965年に始まったドラフトで、堀内恒夫が加入する。
パ・リーグはこの間、南海の全盛期が終わり西本阪急の全盛期になっていく。こちらも山田久志、福本豊、加藤秀司というドラフト組が活躍し始める。
テレビは毎晩巨人戦のナイターをしていた。南海も阪急もロッテもテレビで中継があるのは日本シリーズだけだった。この時期の終わりのほうには大阪球場や日生球場に行くようになったが、内野席もガラガラだった。
で、大相撲。私は大鵬ばっかり優勝している印象があったが、大鵬の全盛期は私が低学年の頃に終わり、佐田の山から「北・玉」時代になった。ライバルの柏戸は1969年に引退する。
1970年の大阪吹田での万国博覧会の会場に、まだ髷をつけた柏戸が、植樹する木をもってやってきたというニュースが流れた。
佐田の山を破って引退させたのは、高見山大五郎だった。そして大鵬は晩年休みがちになるが、1971年初場所で最後の、32回目の優勝。最後の優勝は新鋭横綱玉の海との優勝決定戦になった。玉の海は同じ二所一門の片男波部屋で部屋別総当たりになる前は、弟子同然にかわいがっていた。大鵬は玉の海戦では「蹴返し」を見せるなどして勝利への執念を見せた。
大鵬はこの年夏場所で貴ノ花に負けて引退。これで「北・玉」時代が盛り上がるかと思ったが、この年10月に玉の海が急逝したのだった。
今や大鵬と琴櫻の孫が土俵を賑わせる時代になっている。
あの頃は良かったとは思わないが、そういう時代があったという思いである。
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2021年山本由伸、全登板成績【投手五冠にリーグ優勝に金メダル】
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パ・リーグはこの間、南海の全盛期が終わり西本阪急の全盛期になっていく。こちらも山田久志、福本豊、加藤秀司というドラフト組が活躍し始める。
テレビは毎晩巨人戦のナイターをしていた。南海も阪急もロッテもテレビで中継があるのは日本シリーズだけだった。この時期の終わりのほうには大阪球場や日生球場に行くようになったが、内野席もガラガラだった。
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佐田の山を破って引退させたのは、高見山大五郎だった。そして大鵬は晩年休みがちになるが、1971年初場所で最後の、32回目の優勝。最後の優勝は新鋭横綱玉の海との優勝決定戦になった。玉の海は同じ二所一門の片男波部屋で部屋別総当たりになる前は、弟子同然にかわいがっていた。大鵬は玉の海戦では「蹴返し」を見せるなどして勝利への執念を見せた。
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