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残業代が雀の涙の教員は「定額働かせ放題」という話になっている。
それはそうだと思う。「教員は聖職」と言われ、仕事というより「人生」みたいに思われてきた。
周囲も学校もそれを期待するから、教員は残業も部活も、時間お構いなしにやるのが当たり前になっている。

しかし教師も一つの「職業」であって、教師にもプライベートも趣味も、遊びもある。大学生が教職課程を修了しても、教員にならなくなっているのは、当然ではあろう。

同時に教師は教育委員会を頂点とする組織の一員であり、一般の公務員やサラリーマンとは異なる価値体系を持つ世界で生きていることになる。
名古屋市で学校側が教育委員会に賄賂めいた金を貢納していたことなど、閉鎖的で一般社会から遊離した「教師」という仕事の異様さを象徴している。

「定額働かせ放題」は、いつまでも続くはずがないのは間違いないところだ。

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しかし一方で、頼まれもしないのに365日、生徒のために働き続ける教員もいるのだ。特に中学、高校の部活顧問。私は数年前に部活の教員を集中的に取材したが、自慢げに
「元旦とお盆以外はずっと生徒と一緒ですよ」というのを何度も聞いた。「家族の協力あればこそですが」ともいう。
そういう教員から教頭になり、校長になった人がいる学校では、365日勤務の先生が「教師の鑑」のように言われる。定時で帰宅する教師は肩身が狭くなる。

そういう教師の多くは中学高校時代に、同様の「熱血教師」の指導を受けて、大人になったらあの先生のようになろう、と思っているのだ。
ある大阪の公立高校の教員は、妻子ある身ながらボーナスを部活のためのトレーニング機器の購入に充てていた。「転勤になったら持っていけないので、寄付しますよ」と笑っていたが。
全寮制の部活の教員の中には、家族ごと量の一室に住み込んで、妻が寮母になっていることも多い。

そういう教員にとっては「定額働かせ放題」ではなく「有給やりたい放題」だろう。体育会系であれば、時間効率を考えずに練習させる指導者もいるし、プライベートでも生徒につき合わせる教員もいる。

インターハイの時期など、控室で教員が「超超過勤務自慢」をしているのを見るが、正気の沙汰ではないと思う。こうした同調圧力が「定額働かせ放題」を存続させる要因の一つになっている。

そういう教師がほめたたえられた時代は、確実に終わりつつある。時間のけじめもつけずに、部活指導などしていいはずがない。
「子供のためにすべてをささげている」は自己陶酔に過ぎない。


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