
この二つは、似て非なるものだと思う。
勝負に熱くなる人は「何が何でも勝つ」ことが目的になる。ルールをゆがめることはないにしても、勝つためなら、相手を威嚇したり、必要以上のプレッシャーを与えたりする。審判に対しても不利な判定をされれば食い下がるし、不満な表情をしたりする。そして、どんなにいいプレーをしても「勝たなければ何の意味もない」と思う。試合の後は、互いに健闘を称えるようなことはない。
スポーツに熱くなる人も、勝利を目指す姿勢は変わらない。一生懸命勝利を目指してプレーすることで、スポーツはより面白くなるからだ。しかし、相手チーム、選手に対するリスペクトを常に持ち続ける。審判に対してもリスペクトし、その判定に対しては最大限に尊重する。負ければもちろん残念に思うが、相手の健闘を称える。

昭和の昔は「勝負にとことんこだわる」姿勢こそ、素晴らしいとされた。プロスポーツ選手は「勝負師」であるべきだとされていた。
昭和の名選手たちが「今の選手は、違うチームの選手とも仲良くする。厳しさが足りない」というのは「どんなことをしてでも勝つ」ことが一番大事だ、という価値観からきている。
昔のスポーツ選手は、チーム内でつるむことが多かったこと、そしてギャンブル好きが多かったのは、そういうことではあろう。
スポーツに熱くなる人、とは、すなわちスポーツマンシップを知る人、ということになる。
今のプロ野球選手ももちろん「勝つこと」を目指しているが、それ以上にそのスポーツが好きで、プレーすることそのものを「楽しんで」いる。
その違いが、いろんなプレーにも表れている。「スポーツに熱くなる」人が増えれば、その教義は発展するはずだ。
スポーツに熱くなる人も、勝利を目指す姿勢は変わらない。一生懸命勝利を目指してプレーすることで、スポーツはより面白くなるからだ。しかし、相手チーム、選手に対するリスペクトを常に持ち続ける。審判に対してもリスペクトし、その判定に対しては最大限に尊重する。負ければもちろん残念に思うが、相手の健闘を称える。

昭和の昔は「勝負にとことんこだわる」姿勢こそ、素晴らしいとされた。プロスポーツ選手は「勝負師」であるべきだとされていた。
昭和の名選手たちが「今の選手は、違うチームの選手とも仲良くする。厳しさが足りない」というのは「どんなことをしてでも勝つ」ことが一番大事だ、という価値観からきている。
昔のスポーツ選手は、チーム内でつるむことが多かったこと、そしてギャンブル好きが多かったのは、そういうことではあろう。
スポーツに熱くなる人、とは、すなわちスポーツマンシップを知る人、ということになる。
今のプロ野球選手ももちろん「勝つこと」を目指しているが、それ以上にそのスポーツが好きで、プレーすることそのものを「楽しんで」いる。
その違いが、いろんなプレーにも表れている。「スポーツに熱くなる」人が増えれば、その教義は発展するはずだ。