「当たり前じゃないか」と言われるかもしれないが、私は「推し」という概念が理解できなかったので、この2つがつながって、ようやく腑に落ちた。
「ファンダム」という言葉がある。ファン+キングダムだそうで、アニメやアイドルなど、あるカテゴリーや、作家、タレントなどが好きな人が集まって、自分が好きな「推している」対象を応援し、巨大な売り上げを創ったり、社会的な影響力を獲得したりすることだ。
「推し」というのは「好き」よりも強い言葉だ。対象となる人物、グループを好もしく思うだけでなく、彼らの成功を支援したい、彼らの存在を大きくしたいと、お金を払ったり、ネットで拡散するなど積極的に動く人が含まれている。
対象となる人物、グループなどがより多くの成功をおさめ、社会的認知が進むと、自分たちも認められたような気がする。実際には何も変わっていないのだが、仮想の「自己実現」を得るような活動だと言えるだろう。
私が問題だと思うのは「推し」には、自身の評価、批判の視線がほとんど入っていないことだ。対象となる人物、グループが行うパフォーマンスや、活動は「何でも受け入れて賛成する」。そして大金を払ったり、頼まれもしないのに拡散したりする。
コンシューマーとしては、おめでたいとしか言いようがない。レベルの低い人たちだと思うが、それがいまどきの「趣味」の在り方なのだ。
彼らは「評価」しているわけではない。また「損得」でも動いていないから、法外な金や時間を注ぎ込むこともいとわない。そこで得られるのはかりそめの「満足感」なのだが、それで自己完結している。
今のマーケティングは、本来の「賢いコンシューマーの期待に応える」のではなく、「推している顧客」を見つけてどんどん「金を出させる」方向に動いている。「推し」は損得ではなく「感情」で行動するから、「期間限定」「あと何個」「先着」など、彼らの琴線に触れる惹句を使いさえすれば、何でも買ってくれる。ちょろいもん、になっている。
プロ野球のファンは「勝った、負けた」で一喜一憂し、負ければ観客動員が減るから、健全なマーケティングとしての部分はあるが、そのコアである「応援団」は「勝っても負けても」応援するし、頼まれもしないのに自腹を切ってどこまでも「遠征」する。まさに「推し」だと言ってよいのだろう。
私は「推し」が蔓延するのは、健全な創作活動やビジネスを阻害すると思っている。
本来、よりよいものを創るとか、自分が表現したいものを表現するとか、より良い商品、コンテンツを提供するとかいう方向に努力の「軸」が向かうべきはずだが、ある種のマーケティングは、「一人でも多くの推しを作る」「推しにどんどん金を使わせる」「推しにSNSで拡散させる」方向に変質しつつある。
まともな批評、評価を得ることなく、いろいろなものが作り出されるのは、誠に気持ちが悪い状況だ。そうしたものがコンプライアンスの域を超えて逸脱することだってあるだろう。
「推し」は、いわば「疑似宗教」でもある。対象物を一方的に崇め奉って、のめり込んでいく。
賢い人、理知的な人がとるべき態度ではないし、「推し」から次代を拓くような「進化」が起こることはないのではないかと思う。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
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「推し」というのは「好き」よりも強い言葉だ。対象となる人物、グループを好もしく思うだけでなく、彼らの成功を支援したい、彼らの存在を大きくしたいと、お金を払ったり、ネットで拡散するなど積極的に動く人が含まれている。
対象となる人物、グループなどがより多くの成功をおさめ、社会的認知が進むと、自分たちも認められたような気がする。実際には何も変わっていないのだが、仮想の「自己実現」を得るような活動だと言えるだろう。
私が問題だと思うのは「推し」には、自身の評価、批判の視線がほとんど入っていないことだ。対象となる人物、グループが行うパフォーマンスや、活動は「何でも受け入れて賛成する」。そして大金を払ったり、頼まれもしないのに拡散したりする。
コンシューマーとしては、おめでたいとしか言いようがない。レベルの低い人たちだと思うが、それがいまどきの「趣味」の在り方なのだ。
彼らは「評価」しているわけではない。また「損得」でも動いていないから、法外な金や時間を注ぎ込むこともいとわない。そこで得られるのはかりそめの「満足感」なのだが、それで自己完結している。
今のマーケティングは、本来の「賢いコンシューマーの期待に応える」のではなく、「推している顧客」を見つけてどんどん「金を出させる」方向に動いている。「推し」は損得ではなく「感情」で行動するから、「期間限定」「あと何個」「先着」など、彼らの琴線に触れる惹句を使いさえすれば、何でも買ってくれる。ちょろいもん、になっている。
プロ野球のファンは「勝った、負けた」で一喜一憂し、負ければ観客動員が減るから、健全なマーケティングとしての部分はあるが、そのコアである「応援団」は「勝っても負けても」応援するし、頼まれもしないのに自腹を切ってどこまでも「遠征」する。まさに「推し」だと言ってよいのだろう。
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本来、よりよいものを創るとか、自分が表現したいものを表現するとか、より良い商品、コンテンツを提供するとかいう方向に努力の「軸」が向かうべきはずだが、ある種のマーケティングは、「一人でも多くの推しを作る」「推しにどんどん金を使わせる」「推しにSNSで拡散させる」方向に変質しつつある。
まともな批評、評価を得ることなく、いろいろなものが作り出されるのは、誠に気持ちが悪い状況だ。そうしたものがコンプライアンスの域を超えて逸脱することだってあるだろう。
「推し」は、いわば「疑似宗教」でもある。対象物を一方的に崇め奉って、のめり込んでいく。
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時代から取り残されるのはこうした頑なな態度たと思うと悲しいものですね。
あなたと物事の理解の仕方が違うのは昨日の記事でよく分かりましたので、返信は不要です。
baseballstats
がしました