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「やくざ」は博徒の隠語で「最悪の目である八九三」からきているといわれる。その語源からしてもわかるように「やくざ」は「博徒」の同義語だった。
江戸時代、江戸幕府は「宗門改」を定め、すべての住民を「どこかの寺の檀家」にした。これを「寺壇制度」という。寺の名簿(宗門改帳)に名前がなければ、住民は家を構えることも、転居することもできなかった。

しかし世の中が安定し、江戸、大坂に都市ができるとともに、地方から人々が流入する。その中には寺の証明を得ることなく勝手に都市に流れ着く人がいた。これを「無宿人」という。無宿人はお上(公)の目に留まれば処罰されるから、息を殺して生活するしかない。
江戸時代の都市の標準的な住宅である「長屋」の中でも「表長屋」には、商家の奉公人や職人など「正規の住人」が住んだが、無宿人は生活環境が悪い「裏長屋」に住んだ。
落語は「裏長屋」を舞台にすることが多いが、登場人物の多くのは「無宿人」だった。そして噺家の噺を寄席で楽しんでいたのは「表長屋」の住人だった。

この無宿人の中から「博徒」が生まれた。正業に就かずに賭博で身を立てる連中だ。博徒は「賭場」でばくちを打ったが、幕府に見つかると捕縛される。それを防ぐために用心棒を立てた。また住民に威嚇をした。こういう形で「やくざ」は、グループを形成していく。
「やくざ」の集団には士農工商の「正業」の外にあった「神農」と呼ばれる香具師・てき屋などとも関係を持つようになる。さらに芸人も「やくざ」と近かった。

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こうした歴史の中で、やくざは閉鎖的な集団を形成した。やくざの集団は「厳しい掟」で構成員を縛った。「上位者に対しては絶対服従」「裏切りには厳罰を科す」。組織は「家族」であり上下関係は「親分、子分」と言われるようになる。そして義理人情が強調された。
「やくざ」は、暴力や様々な犯罪を犯したが、そうしたビジネスは原則としては「やくざのコミュニティ」のものであり「堅気の衆に迷惑をかけない」が原則だった。

明治時代以降も、やくざの集団は存続、発展した。

昭和に入ると「やくざ」は「右翼」や「総会屋」などとも交流が進む。戦後は、神戸の沖仲仕から出た山口組が急成長し、三代目田岡一雄は海運会社や芸能会社も経営する。吉本興業や東京の芸能界、大相撲、プロ野球なども「やくざ」と切っても切れない関係になっていった。保守系の政治家などとも関係ができていたし「やくざ上がり」の政治家もいた。

しかし1991年に「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(暴対法)」が施行される。これが大きな転機となった。これまで「どこまでがやくざか」規定が難しかったやくざが「反社会勢力」として規定され、警察、行政はピンポイントで「やくざ」を社会から排除し始める。

以後、広域暴力団は急速に衰退する。いまや「反社会勢力」と認定されると銀行に口座も開設できないし、就職も困難だ。プロ野球の観戦もできない。

追い詰められた「やくざ」は、弱体化したが、そのかわり暴力団に属さない「半グレ」が、反社会的な行為を行うようになった。これに中国マフィアも加わって、日本の暗黒面は混とんとしている。

今日、東京の住吉会系の事務所が大阪府警によって家宅捜査されたが、その罪状は何と「暴力団員によるオレオレ詐欺の受け子」の嫌疑によるものだった。やくざは、劣化し、こんな情けない犯罪にも手を染めるようになったのだ。

警察権力は「やくざ」を「反社会」と規定することで決定的に弱体化することに成功したが、少なくとも昔の「やくざ」にはあった規範意識はなくなり「なんでもあり」の混とんとした状態になっている。




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