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取材をするとき、指導者や選手が、一礼してグラウンドにはいるのをよく見る。それに続いてグラウンドに入るときに、私も一礼すべきか、とも思うのだが、私はそういう文化で育ったわけではないので、とってつけたようで格好悪いと思うので、あえて頭を下げたりしていない。
日本野球は礼儀正しい。高校野球では、試合は一列に並んで脱帽して一礼してから始まる。
選手は、打席に入るときに審判に一礼するし、初回に守備に就くときにも審判に挨拶する。
まさに「礼に始まって礼に終わる」かのように錯覚するが、それは日本の学生野球から始まった、ごくローカルな「文化」だと言える。
その始まりは、おそらく「一球入魂」「野球道」を唱えた飛田穂洲当たりではないかと思う。

「野球道」は、ベースボールを日本古来の「武道」になぞらえたもので、同様の精神、規範意識でプレーしようと言うものだ。

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このこと自身は、良くも悪くもないだろう。そういう「礼」の意識を取り入れることで、野球が日本に普及し、発展したのならそれでよいと思う。

しかし、それはアメリカからもたらされ、今もアメリカを「宗主国」として、アメリカのルールに従って行われている日本野球にとって、本質的な部分ではない。

例えばグラウンド入りするときに一礼しなかったからと言って、あるいは試合の後にきちんと一礼しなかったからと言って「間違っている」という輩は、勝手に野球の「家元」を僭称してふんぞり返っている心得違いだと言えるだろう。

これが大相撲ならば「礼に始まり礼に終わる」は、その通りなのだ。大相撲興行は日本のスポーツの概念が入って来るはるか以前に始まっている。そしてスポーツとは関係ない「神事」「芸能」の要素をたっぷりまとわりつかせている。
昭和初年、そうしたスポーツと関係がない要素を全部取っ払って、行司の代わりにレフェリーを置いて、力士は髷を切って相撲をする団体が出現したことがある。大相撲界に「春秋園事件」という紛擾が勃発し、大相撲を脱退した「天竜一派」が、そういう純粋のスポーツとして興行したのだ。しかしこれは長続きしなかった。最終的にお客は昔ながらの大相撲を選んだのだ。

しかし野球はアメリカ発祥で、文化と言うなら全く違う文化をまとったスポーツだった。それが日本にやってきて「ジャパナイズ」したのだが、これは「伝統だ」「文化だ」と言うほど大層なものではない。きわめてローカルなものだと思う。

日米野球など国際試合で、向こうの選手がグラウンドに向かって一礼しないからと言って怒る日本人はいない。中には「奴らは礼儀知らずだ」という人がいるかもしれないが、そういう人こそ「世間知らず」なわけだ。

私は神宮球場で、ボールボーイが選手にボールを渡す時だけ一礼するのを、常々「いやらしい」と思っていた。ボールボーイは審判やスタッフにボールを渡すときは一礼しないのだ。こういうくだらない「礼儀作法」をだれが仕込んだのかと思う。

別にグラウンドに入るときに一礼するのをとがめる気はない。堤さんじゃないけど「やりたければおやんなさい」である。何ならマウンドまで「五体投地」でいく投手がいたって良い。

でも、他の選手、チームが自分たちと同じようにしないからと言って「無礼だ」「失礼だ」というのはおかしいと思っている。それは日本野球の一部に残る「風習」であり、全体で共有すべき作法ではない。

野球の本質的な部分はこの手の「礼儀作法」ではなく、チームメイト、相手選手、審判、競技そのものを「リスペクト」するスポーツマンシップなのだ。
そしてスポーツマンシップの表現の仕方には「いろいろあっていい」のだと思う。


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