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ちょっとしたトリビアである。強打者として球史に残る選手の中には「元捕手」という選手がいる。
強打者になった時には別のポジションになっていたが、かつてはマスクをかぶっていたという選手の成績。

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鉄人衣笠祥雄は、平安高から捕手として入団。1965年7月25日の大洋戦には8番捕手でスタメン出場しているが、広島には田中尊という正捕手がいて、衣笠は翌年には一塁手となり、その後三塁に転向。以後は1970年に1試合マスクをかぶっただけ。

小笠原道大は、内野手登録だったが1997年に捕手として38試合に出場。当時の日ハムは田口昌徳と山下和彦という2人の捕手がいて小笠原は3番手だったが、1999年に一塁にコンバートされた。

松原誠は、1962年捕手として大洋に入団するが、翌年から一塁を守るようになり、1967年には三塁に転向、1971年には再び一塁にコンバートされた。この間、打撃10傑に5回入ったが、一塁は王貞治、三塁は長嶋茂雄がいたため、一度もベストナインになっていない。

江藤慎一は1959年捕手として入団したが杉下茂監督がすぐに一塁にコンバート、しかし1963年には39試合でマスクをかぶったが、木俣達彦の台頭とともに一塁、外野に回った。

和田一浩は1997年捕手として西武に入団するが、絶対的な正捕手の伊東勤がいたため一塁、外野に回る。

山﨑武司も同じ。私は本人から「中村武志さんを抜くにはバットしかないと思った」と聞いたが、ブルペン捕手を経て外野に転向した。

白仁天は張本勲、大杉勝男と中軸を打った。1965年までは捕手だったが、66年に外野にコンバートされた。

最後の一人、池辺はピンとくるひともいるのではないか。捕手には全く縁のない好守の外野手だったが、阪神時代の1977年4月30日の大洋戦で捕手がいなくなり、試合途中からマスクをかぶった。頭を下げ目をつぶって捕球するシーンがプロ野球ニュースで流れた。

現役にもそういうキャリアの選手がいるが、それは稿を改める。





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