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今朝のサンデーモーニングの「風を読む」に、張本勲が登場した。日本被団協のノーベル賞受賞について、被爆者として意見を述べたのだ。
張本勲の前半生は「悲惨」の一言だ。一家は生活に窮して韓国、慶尚南道から広島に移住したが、母親は張本勲を宿す身重で、広島で誕生したと言う。5歳の時に被爆、7歳年長の姉は死亡している。
戦後は厳しい差別に遭いながら野球を続け、プロ野球入りし、不世出の選手になったわけだ。張本は大韓民国籍のままだ。

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張本は現役時代から、在日韓国系のスポーツ閥の幹部で、力道山の子分と言う印象だった。また引退後は、同じ韓国系で日本に帰化した金田正一が興した「名球会」の幹部でもあった。

韓国系スポーツ界、そして昭和野球界の「古い人脈」にいて、守旧派的な発言が目立っていた。

しかし同時に、1982年に韓国プロ野球(KBO)が発足すると、在日の韓国系選手を紹介するとともに、リーグ運営のノウハウを伝えるなど、日本球界のビッグネームとして韓国にプロ野球を根付かせるうえで大きな役割をした。

引退後は、臨時コーチを除き、プロ野球の指導者にはならず、TBS解説者一本だった。
恐らく、堅実な生活をしていたのだと思う。

「サンデーモーニング」では、大沢啓二と共に「喝」を連発。「昭和の野球」をひけらかして、野球の進歩には徹底的に抗った。「人脈」「派閥」でモノを考える典型的な「野球人的思考」の人物だったから、昔の仲間への義理立てもあってそういう立場に徹したのだろう。

私は張本の伝記も大沢親分の著書も読んだが、本の中身は張本の方がはるかにレベルが高かった。兄貴の大沢清庇護のもと、南海に入って、そこでも鶴岡御大の人脈で生きた大沢親分とは異なり、張本は辛酸も舐めただけに、話に深みがあった。

2021年に「ご意見番」を引退後、私はソフトバンクキャンプで見かけたが、痩せて、杖を突いていたのが気になった。

そして今朝、サンデーモーニングで、膳場貴子のインタビューを受けた。Youtubeにノーカット版が出ている。



張本はノーベル賞受賞を「ホッとしましたね。感謝してますよ。だけども、もう少し早くもらいたかったですね。亡くなった先人達にも聞かせてやりたかったです」
と語った。また一番好きだった姉が死んだことにも触れるときには、声涙ともにくだると言う印象だった。

こういう話がきちんと引き出せるのだから、膳場貴子は「ミスタータイガース」の扱いを間違えたとしても、凡百のアナとは異なり、優れたジャーナリストなのだと思う。

痩せて下あごが突き出ていたが、原爆について語る張本の顔は彫刻のように美しかった。

人の一生は、一つの言葉で評することはできない。誰しもそうだが、張本の84年は、様々なドラマで彩られていた。晩年にこのインタビューを聞くことができたのは幸いだった。




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