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いつかそうなるのではないか、と思っていたが、大相撲でも仕切りの最中などに大声を上げるお客が増えてきたようだ。
スポーツに接する態度として「観戦」が一番ベーシックだと思うが、最近は「観戦」ではなく「応援」モードの人が増えている。
その最初は、日本のナショナルパスタイムの野球で、アメリカのアイビーリーグから伝わった応援スタイルが大学に定着。日本独自の「応援団」なるものもできた。
これが中等学校野球、社会人野球などにも派生、さらには戦後になってプロ野球にも及んでいる。

野球だけでなく、他のスポーツでも「応援」は広がっている。インターハイなどに行くと、お客はほとんど入っていなくても、控えの選手などが試合の最中ずっと声を上げている。

大相撲は、永らくそういう習慣はなかった。スポーツという概念が日本にできる明治期以前から大相撲は存在し、その頃はどちらかと言えば歌舞伎など「芸能」に近いカテゴリーだと見られていた。だから「八百長」も場合によっては許されたのだが。
「歌舞伎」などの演劇は、役者のセリフが聞こえるのが基本中の基本だ。だから、観客は役者が演じているときは静かにしていて「見得」など「決めのポーズ」になると「待ってました」とか「大向こうの声」をかけたのだ。

相撲の場合も、土俵上で力士が立ち会う際には、ときおり力士名を呼ぶ声がパラパラと掛かる程度で、時間になると大声援が上がるというのがこれまでのスタイルだった。勝った力士は拍手と声援を受けて土俵を降りるのだ。

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しかし今回の声援は、力士の仕切りの時間中力士名を大声で連呼するようなもので、土俵上で力士が仕切る「緊張感ある間」を台無しにするものだった。

大相撲の歴史で、そういう応援が全くなかったわけではない。戦前、出羽海部屋の関脇笠置山は早稲田大出身、大学上がりの力士の走りだったが、笠置山が土俵に上がると早稲田の応援団が大声で応援したと言う。

しかしそういう応援は根付かず、ここまではなかったのだが、結局、大相撲にも「プロ野球応援団」の悪しき習慣が流入しようとしているように思う。
かつて長嶋茂雄は「球音を楽しむ試合」を提案したことがあったが、1980年代から猖獗を極めた「応援族」は、従来の「観戦族」を駆逐し、今やプロ野球の試合は、北朝鮮の民族の祭典のようになっている。
この風習は韓国プロ野球(KBO)や台湾プロ野球(CPBL)にも伝搬している。
NPBの場合、球団や機構が「観戦応援約款」を定めて応援のルールを決めているが、韓国や台湾はそういうルールがないので、カオスのような状態になっている。

彼らは「応援」こそがスポーツ観戦の最高のスタイルだと信じて疑わない。また「俺たちが試合を盛り上げて、野球興行を成り立たせている」と思っている。これは確かに一面の真実で、応援団がいなければ、観客動員は今ほどではなかった可能性があるが、傲慢な態度ではある。

彼らは「チーム、選手のために応援している」と自分たちでも思っているが、その実、「自分たちが楽しいからやっている」わけだ。その証拠に、消化試合や練習試合、大差がついて試合の帰趨が決した試合など、応援の必要がないと思われる試合でも、馬鹿の一つ覚えみたいに応援している。本当は選手のためではなく、自分たちがやりたいからやっているのだ。

大相撲は、こうした応援が拡がらないうちに、厳しく規制をすべきだ。彼らは外来生物のように、あっという間に広がっていく。そして「自分たちは正しいことをしている」と信じて疑わないから、説得することはできない。
大相撲が、プロ野球のように、力士ごとの幼稚な応援歌でいっぱいにならないうちに、相撲協会は「観戦ルール」を改定すべきである。




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