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高校野球の公式戦は、春、夏、秋の3シーズンだ。試合数は少なければ3試合で終わってしまう。練習試合などを含めても年間試合数は50試合くらいだろうか?
重要な試合は、すべてトーナメントなので、一戦必勝だ。だから、選手の多くが固定される。少し前までは、エースがただ一人で全試合を投げ切ることが多かったが、最近は複数の投手を用意する学校が増えてきた。しかし野手陣の多くは固定される。

100人を超える選手がいるチームでは、3年間一度も公式戦に出場しないまま引退する選手もたくさんいる。彼らは大会が始まると、応援団になってスタンドで大声を上げる。

100人を超えるマンモス部員を擁する学校は、昭和の時代から存在した。しかし、昭和の時代、指導者は、大量に入部した部員たちの中から、有望な選手を選抜し「その他大勢」は、退部するように仕向けた。長距離走を実施して、脱落したら退部、みたいなルールを設ける指導者もいた。
また、レギュラーとあからさまに待遇を差別化することで、やめさせようとする指導者もいた。

高校進学率が低い時代は、野球部の退部は「高校中退」につながることが多かった。
大野倫は、沖縄水産に入学した当初、同い年の野球部員が100人以上もいたが、2年に上がるときには十数人になっていたと言った。

指導者にとってみれば、面倒見ることができる選手の数は限られているから、そうせざるを得なかったのだ。

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しかし、少子化が進行し、生徒数の確保が「死活問題」になっている今の私学では、たとえレギュラーでなくても、1試合も試合に出なくても、そういう選手を退学させることはできない。
3学年で100人の野球部員がいれば、各学年1クラスが充足されるのだ。
そこで、経営陣は、指導者には「補欠の子をやめさせるな」と指示する。指導者は本当は重荷なのだが、補欠の選手の面倒も見ることになる。

2軍、3軍を作って若いコーチに面倒を見させたり、近隣の学校に呼び掛けてリーグ戦などを行ったりする。それでも楽しいと言う子はいるだろうが、そういうマスプロ指導の中で、本当は「磨けば光る玉」であるはずの子が、埋もれてしまうこともあるのだ。

東洋大姫路高校の岡田幸生監督は、履正社高校監督時代「僕が見ることができるのは、ワンバスまで」といった。ワンバスとは45人だ。智辯和歌山の中谷仁監督も「野球部は40人まで」と言った。

「野球離れ」が進む中、指導者自身が望まない「マンモス野球部」が、学校経営の都合で存続している現状は、健全ではないだろう。




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