巨人の清武英利球団代表が、文部省記者クラブで会見し、渡邊恒雄会長の横暴を糾弾した。代表、現場サイドで進めていた岡崎郁ヘッド以下の来季のコーチングスタッフの人事を、渡邊氏が横車を押してひっくり返そうとしたというのだ。人事権は、読売巨人軍の専権であり、上司筋とはいえ親会社のトップにその権限はない。清武さんは「コンプライアンス」という言葉まで使って、グループの最高権力者を指弾した。まさに前代未聞。
清武さんの『週刊ベースボール』の連載「野球は幸せか!」を愛読している。この人は、東日本大震災以来、セリーグ、巨人の迷走劇の矢面に立って、つじつまの合わない言い訳や強弁を繰り返してきたが、本心ではないと思っていた。彼は、二軍の選手や裏方に至るまで目配りをし、他球団の選手にも関心を向けている。一般新聞記者上がりだが、野球に対して細やかな視線を持っていると感じていた。そうでなければ、隔週とはいえ連載コラムで100回以上も野球のことを語ることはできないはずだ。野球を自分の権力、影響力の大きさをひけらかす道具としか考えていなかった、渡邊会長とは志が違うと思う。
清武さんと渡邊会長の間には、桃井恒和オーナーがいる。この人は清武さんの会見の後、球団事務所で会見し「会見のことは本人から事前に全く知らされておらず、ショックであり、残念に思う。私の知らないところでこのような会見をしたことは、球団の内部統制という意味でもとんでもない話だ。コーチ人事については、レギュラーシーズン終了前に了承をもらったが、クライマックスシリーズのファーストステージで惨敗したので、渡辺会長は以前とは状況が変わったと判断したのだと思う」と述べた。オーナーとは名ばかりの中間管理職の弁である。すでに渡邊会長から、来季はオーナー職を廃止すると通達されていたようで、いわば白旗を上げたうえでのコメントだった。
清武さんは、当然、職を辞する覚悟で会見に臨んだのだろう。そして会社はおそらくお得意の「グループ内の人事異動」で、清武さんの名前を抹消しようとするだろう。しかし、こういう形で内部の醜態を露呈したことで、ことは簡単には収まらないはずだ。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれホトトギス」である。
ものの本には「企業経営においては、独裁は必ずしも悪ではない」と書かれている。「選択と集中」が必要とされるビジネスの世界では、決裁者の即断が企業を窮地から救ったり飛躍させたりすることはしばしばあることだ。しかし、許されるのは独裁者が「有能」で誰もが納得できる決断をするときに限られる。野球に対する一片の愛情も感じられず、専門知識もあるとは思われず、自己肥大、全能感の果てに、吹き零れるように放言を繰り返す85歳の老人の独裁は「悪しき独裁」だと思う。グループが本心では渡邊会長の言動を迷惑に思っているのは、読売新聞、スポーツ報知などがDeNA問題など、渡邊社主の言動を他紙よりも小さくしか扱っていないことで伺うことができる。社内にも、清武さんの決断にひそかに拍手を送っている人は多いのではないか。
率直に言うが、NPBの機構改革や、ビジネスソリューションが遅々として進まないのは、渡邊氏を首魁とする抵抗勢力が、昔のビジネスモデルに固執し、既得権益や自らの体面を守ろうとするためだ。清武氏の行動は、組織論的には問題があったかもしれないし、内輪の恥をさらしたという点では、褒められたものではなかったかもしれないが、野球界の進歩のためには大きな一石だったと思う。
野球は老人の玩具ではない。断固支持する。







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