残念なことだが、東海大の菅野智之は浪人するそうだ。ごたごた続きの巨人にどれほどの魅力を感じていたのかはわからないが、巨人サイドにすればGMだった清武さんは刃向うわ、意中の菅野には袖にされるわでは、ダメージは計り知れない。水面下で必死の説得があったのではないか。
どんな道を歩もうと、本人の自由だからそれ以上いうべきことはないが、1年間練習だけして過ごすというのは、勝負師としての勘を殺すことになりかねない。日本人は、野球は「練習すればうまくなる」という信仰を持っているから、こんなことができる。アメリカでは「試合に出なければうまくならない」と思っている。あり得ない選択だ。
ドラ1選手を失うことになりそうだが、改めて日本ハムサイドの勇気には拍手を送りたい。
今のドラフトは、親分が一番いいものを先に取って、あとを子分が分捕りするという形になっている。実質的に巨人が指名する選手は、11球団が遠慮する習慣がまかり通っている。これは、ドラフトの精神を踏みにじるものだし、スポーツで最も重要視されるフェアの精神にも悖るものだ。日本ハムは、この因習に異議申し立てをしたのだ。
何度も引き合いに出して(読者に)申し訳ないが、渡邉恒雄会長は、何の資格も権利も有していないのに、いろいろなところに口出しをして、己の「隠然たる力」を誇示してきた。巨人という球団も、自分たちだけは「隠然たる力」を持っていると主張しているのだ。
「本人が巨人入りを願っているのだから、いいじゃないか」という向きもあるだろうが、一握りの選手だけは「願えば巨人に入ることができる」という悪しき前例が、選手たちにそういう願望を抱かせている。「プロ入りは希望するが、どの球団に入るかは選択できないから、運に任せる」とすべての選手が思うのが、ドラフト制の前提だ。





なぜドラフト制ができたかと言えば、有望な選手を巡って、巨人に代表される金満球団が非常識な選手争奪戦を繰り広げたことへの反省があったからだ。教育的見地からも、社会常識からもあり得ない人身売買まがいの商習慣への反省が、ドラフト制導入へとつながったのだ。
それからすでに46年もの時間が経過しているのに、まだ特権的な地位があると主張する球団がある。そして、その球団に唆されて貴重な1年を浪費しようとする若者がいる。これは、どう考えても異様な事態だ。
来年のドラフトは、巨人と菅野は、相違相愛の関係に周囲が配慮してくれると思っている。また例年通り、ボスが一番のごちそうにありつくことができると思っている。他球団は、この異様な事態を許さないという決意を示すべきだ。今年の日本ハム同様、ドラ1選手を獲得できないかもしれないという大きなリスクはあるが、あえて、菅野を指名する球団が複数出てくるべきだ。どの球団も等しく義務と権利を有するという当たり前のことを、世間と巨人に知らしめるためにも、11球団が団結して事に当たるべきだ。

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