続きである。
日本のドラフト制度は1965年に誕生した段階から中途半端で、ウェーバー制ではなくくじ引き制になっていた。それでも戦力均衡は進み、万年下位だった広島やヤクルトが日本シリーズに進出するようになった。
しかし、93年有力な選手が希望球団に入れるようにする「逆指名制度」が導入された。2001年には「自由獲得枠」が設けられた。巨人など一部のチームが有望選手を確実に獲得するためにそのようにしたのだ。毎年、有望な野球選手はほんの一握りだから、これを特別枠にするというのは、ドラフト制を骨抜きにするものだ。
2005年、巨人が明治大学の一場靖弘に裏金を渡していたことが発覚。以後、自由獲得枠は縮小され、希望入団枠となった。さらに、2007年西武ライオンズの裏金不正が発覚、希望入団枠は撤廃された。表面的には再び平等に機会が与えられるようになったが、このころから巨人は「相思相愛」を事前に喧伝することで、自分たちだけは実質的な「特別枠」を維持するようになった。長野も澤村もこの「見えない特別枠」で入団したのだ。
ドラフト制は、リーグが共存共栄するための戦力均衡策だ。それを骨抜きにするのは、ひいてはリーグの沈滞を招くことになる。巨人のように、巨費を投じて有力選手を他チームから引き抜き、そのうえ最有望の新人選手も獲得するというチームは、リーグを沈滞化させる。そうしたチームいるリーグには、一方で横浜のように勝つ意欲が見られないチームも生まれてくるのだ。
巨人は、高度成長期の成功体験が染みついている。確かに、その頃は「常勝巨人」に人気が集中した。セのチームは巨人戦の放映権料で飯が食えた。しかしそれは、社会が発展途上で、「巨人、大鵬、卵焼き」に象徴されるように、誰もが同じものを手に入れようとした時代だったからだ。「人と同じはいや。自分で選びたい」と思う人が大部分を占める成熟社会では、毎年勝者が決まっているようなスポーツは見たいとは思わないのだ。
「そうはいうが、巨人は、毎年有力選手をたくさん獲得しているが、常勝チームになってないじゃないか」という反論がある。それは個別の事情に過ぎない。たまたま巨人の采配やマネージメントが無能だったために勝てていないだけだ。だからといって、不均衡を容認することにはならない。
→なぜ、巨人がすごい選手をそろえて勝てないかは、小野俊哉さんの『プロ野球解説者の嘘』に書かれている。





「ドラフト制度は個々の会社の企業努力を無にする悪平等だ」という議論もある。しかし、閉ざされたリーグでは人気球団がやすやすと有望選手を獲得できるのに対し、弱小球団には選手が集まらない。挽回するチャンスが閉ざされているのだ。弱小チームは下位リーグに落ちることもできないし、容易に撤退することもできない。じり貧に陥るのだ。結果の不平等は認めるべきだが、機会の不平等は是正しなければならない。

今、巨人、そして他球団の経営者に必要なのは、自分たちの敵はライバルチームやリーグではなく、他のスポーツジャンルや、多様化した娯楽、そして海の向こうのMLBだ、ということを理解することだ。
あふれんばかりのコンテンツが選択肢として存在する中で、プロ野球を選択してもらうためには、リーグが活性化し、常に「勝者がだれになるかわからない」状態を作る必要があるのだ。現場の指揮官はともかくも、経営者たちにその認識がなければ、リーグの繁栄はおぼつかない。
球界の盟主を標榜するのなら、巨人は率先してリーグ戦力の均衡化に協力すべきだ。そのうえで、他のチームと同様の条件で獲得した、限られた戦力で戦うべきだ。
菅野智之をめぐる動きも、そうした視点で見ればおのずと答えは出ると思うのだが。

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