長野県のほぼ中央に位置する。かつて養蚕業、今は精密機械の町。技術、職人のイメージがある街だ。
岡谷市は人口5万。高校は3校あるが、プロ選手を輩出しているのは岡谷工業だけだ。
旧諏訪蚕糸学校。甲子園出場回数で長野県4位。準優勝の経験もある。
中村三郎は学生時代は投手だったが、プロ入り後は内野を守ることが多かった。しかし、名古屋で戦時下で投手が払底した時期に登板している。
三浦敏一は戦前屈指の名捕手と言われた。国学院大を出て名古屋に。当サイトの旧ページに、この選手の親族の方からコメントをいただいた。
→旧ページの三浦敏一紹介
小泉恒美(つねよし)は、67年だけ南海の外野のレギュラーだった。47歳で早世している。
今井務は主に代打で活躍した。東映時代の72年8月30日には代打満塁サヨナラ本塁打を打っている。
金丸久夫は、ドラフト外でロッテに入団するも1軍出場なし。退団後に自動車事故で死亡している。
この顔触れも渋い。捕手の三浦がベスト9候補だろう。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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旧諏訪蚕糸学校。甲子園出場回数で長野県4位。準優勝の経験もある。
中村三郎は学生時代は投手だったが、プロ入り後は内野を守ることが多かった。しかし、名古屋で戦時下で投手が払底した時期に登板している。
三浦敏一は戦前屈指の名捕手と言われた。国学院大を出て名古屋に。当サイトの旧ページに、この選手の親族の方からコメントをいただいた。
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小泉恒美(つねよし)は、67年だけ南海の外野のレギュラーだった。47歳で早世している。
今井務は主に代打で活躍した。東映時代の72年8月30日には代打満塁サヨナラ本塁打を打っている。
金丸久夫は、ドラフト外でロッテに入団するも1軍出場なし。退団後に自動車事故で死亡している。
この顔触れも渋い。捕手の三浦がベスト9候補だろう。
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中村三郎はプロではほとんど内野手でした。最も多いのがセカンド、次いでファースト、12年春の大東京時代はショートもやったことがあります。
>学生時代は投手だったが
長野県野球史を伝える貴重な文献「甲子園からの手紙 松商野球の源流」(2008年5月30日発行)によると、昭和3年に夏の甲子園に優勝した松本商業は9月9日には宝塚運動協会と試合を行い勝っています。諏訪蚕糸はその松本商業と9月30日に試合を行い、中村三郎の力投により8対4で諏訪蚕糸が勝ったとのことです。