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2009ベテランの勤務評定

ついてなかったペドロ・マルチネス|2009ベテランの勤務評定-05

ペドロ・マルチネスがラモン・マルチネスの弟だとはしばらく知らなかった。LADの先発投手として野茂などとローテーションを組んだラモンは193cm78kgという針金のような体。打たれる、歩かせる出入りの多い投球ながら、要所を締める投手だった。


弟のペドロは、180cm88kg、野手のような体つき。期待感はそれほど高くなかったが、90年のRkですでに頭角を現し、翌々年にはMLBに上がる。翌93年はタフなセットアッパーとして10勝を挙げる。94年にはLADからMTLに移籍し、先発に転向する。


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この投手が超一流になったのは、MTL最終年の97年から。この年の防御率は驚異的な1.90。サイヤング賞を受賞。以後BOSに移ってからは、リーグを代表する投手になった。99年は23勝4敗、奪三振率は13.2、31試合でQSは24。WHIPは0.92.。翌00年は6月後半から7月にかけてローテーションを外れたが、29試合でQSは26試合、WHIPは何と0.74を記録した。先発投手としては空前絶後だろう。全盛期の最後といえる2003年、松井秀喜を子供扱いした投球が強く印象に残っている。内角を鋭く突く気迫の投球。死球は歴代24位の141個。コントロールと、球のキレと、強烈なカーブ、そして勝負師としての駆け引き。まさに小さな大投手だった。


ペドロ・マルチネスは、このほど引退したランディ・ジョンソンやロジャー・クレメンス、マダックス、スモルツらとともに、世紀末から21世紀へかけての大投手の一人であるのは間違いがない。しかし勝ち星はこれらの300勝投手に大きく劣る219勝。


これは、ペドロがよく欠場したからだ。「契約最終年でなければ頑張らない」と揶揄されたが、実際のところはこの小さな体で選手生活を長らえるために、無理をしなかったからではないだろうか。


2006年に右腕を手術してからは不本意な投球が続く。2009年は何とかMLBに復帰すべくWBCドミニカ代表でアピールした。ドミニカはオランダに連敗し、まさかのグループリーグ敗退をしたが、その中でペドロ一人が悠々と投げていた。「こんなやつらに何を手こずっているんだ」と言わんばかりに。


そして、PHIに入ってからはマイナーで投げたのちに8月12日にMLBに上がると、ローテの一角として8試合に先発した。往年の剛球はすでになく「顔」で投げている、という感じだったが、味のある投球だった。


WBCでそうだったように、ペドロはワールドシリーズで快投を演じて、次の勤め先を見つけようと思っていたのだろうが、よりによって、あれほどカモにしていた松井秀喜に完膚なきまでたたきつぶされた。「今年はついていない」と思ったことだろう。


39歳になるペドロだが、2010年もどこかで必ず投げていると思う。


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マリアノ・リベラの復活|2009ベテランの勤務評定-04

2007年でNYYの守護神、マリアノ・リベラは終わると思った人は多いのではないか。この年、WHIPが1.12に下落。ERAも3点台になり、並みのクローザーの成績になった。四球はめったに与えなかったが、被安打がイニング数とほぼ同じになった。特に開幕直後の4月後半、OAK、BOS相手に火だるまになったのはショッキングな映像だった。4試合で9安打9失点。6月、7月は持ち直したが8月にふたたび打ち込まれた。


不調の原因はただ一つ、カッターの切れ味が悪くなったのだ。


そのあと、リベラがどんな練習をしたのか、体のどこが改善されたのかはよく知らないが、2008年、2009年、完全復活を果たす。2008年、チームは不振だったがリベラの投球はさえわたった。なんとWHIPは0.67。開幕から2カ月で自責点1、25回で11安打2四球というすごさだった。2009年、4月5月はERA2点台とこの投手にしては良くなかったのだが、しり上がりに調子を上げていき、6月12日から8月9日までの21試合で自責点ゼロを記録する。打線好調なNYYが終盤に逆転し、リベラが上がるとあきらめムードが漂ったものだ。


好調の原因はただ一つ、カッターの切れ味が良くなったのだ。


この投手は斜め下にすとんと落ちる高速カッターしか投げないから、そうとしか言いようがない。まさに名人芸。2009年のWBCでは、ベンチに姿を現したが、ついにマウンドには上がらなかった。まさか「これが良かった」とは思っていないだろうが。


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 41歳の誕生日を迎えるリベラである。今年もカッターの切れ味が良いかどうかはわからない。ただ、歴史に残る名投手の活躍は、それほど長く続くとは思えない。しっかり見ておきたいと思う。


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ゲレーロは500万ドルでTEXへ|2009ベテランの勤務評定-04

松井秀喜の移籍によって放出が既定事実化していたブラディミール・ゲレーロは、TEXと契約したようだ。1年契約500万ドル。2年前までA-RODと並び称される存在だったことを考えると少し哀しい。

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ゲレーロは、攻走守ともに人間離れした選手と言う印象がある。

全盛期にはイチローよりもすごい右翼手と言う評価があった。がっくりがっくり体をゆする独特の走り方でボールをキャッチすると、恐ろしい球を三塁までダイレクトに投げていた。やや動作が鈍いので、ゴールドグラブは取ったことがないが、十分に抑止力になる肩だった。その上、MTL時代は40盗塁も記録(この当時、1つ違いの兄ウィルトンもMTLで2Bを守っていた)。

このスピードに加えて、すさまじい打撃があったのだ。2007年、オールスターのホームランダービーでバットスィングの速さを堪能したが、とにかくボールを全身で“しばいている”という印象だった。素手でバットを持つのもすごい。悪球打ちも目立ったが、ゲレーロには一般の常識は通用しないという感じだった。併殺打が多いのは、右打者だからだが、同時に打球があまりにも速すぎるからでもあった。

こんな選手は絶対に日本にはいない、と思わせる。2008年からのひざの故障は、自身の筋力の強さに体がついていけなくなった、という感じがした。

2010年、復活してほしい選手の一人である。35歳はまだ若い。松井秀喜とどちらが良いSTATSを残すか。そして再び年俸1000万ドル倶楽部に復帰してほしい。

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ランディ・ジョンソン、名誉ある引退|2009ベテランの勤務評定-03

ランディ・ジョンソン引退。自分で潔く幕引きをしたのは、このクラスの大物としては、2007年限りのクレイグ・ビジオ、2008年限りのマダックスがいるが、バリー・ボンズ、ロジャー・クレメンス、サミー・ソーサ、フランク・トーマスらが煮え切らないエンディングを迎えている中で、余力を残しての引退は爽やかである。

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ランディ・ジョンソンは1982年、ATLから4順目指名されるがUSC(南カリフォルニア大)に進む。1985年2順目でMTLと契約。ボーナスは6万ドルだった。この年のドラフト1順目トップはバリー・ボンズ。1順目にはピート・インカビリアの名前もある。同時期USCには、マーク・マグワィアがいた(学校は違う)。ちなみにランディとマグワイアの誕生日は20日違いである。工藤公康とも同い年だ。

プロ入り3年目でMLB登板を果たすが、コントロール難に苦しみ、SEAにトレードされる。以後もシーズン100四球を出すが、チームが先発で使い続けるうちに徐々に数字は安定する。

ランディ・ジョンソンがリーグ屈指のスターターになったのは30歳の93年からである。奪三振は300を超え、四球は100以下となる。以後、故障した年はあるが体調万全のときは、絶対的なエースとして君臨した。1998年HOUへ、翌年ARIに移籍。ランディの全盛期は36歳のこの年から4年間ではなかったか。大器晩成型の投手だったのだ。

ビッグ・ユニットと言われる208cmの巨体、しかも左、うなる速球と高速スライダー、これでコントロールが良くなったのだから手がつけられない。ある時期のMLBの顔だった。ランディの偉大さは、何度も故障をしながらその都度立ち直ったことにある。自らを冷静に統御できる選手だったのだと思う。

NYYに移籍した2005年くらいからは、球威が衰え「顔」で投げている印象があった。2009年も何試合か中継があったが、往年の威圧感はもはやなかった。

ランディ・ジョンソンの303勝は歴代22位に当たる。

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300勝以上の投手はほぼ殿堂入り当確とされている。引退後、ドーピング等の発覚がないという前提ではあるが、5年後にはクーパーズタウンでランディ・ジョンソンは晴れがましいコメントを述べているのではないか。

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オルティーズの価値は?|2009ベテランの勤務評定‐02

デービッド・オルティーズは、一時期、アリーグ最強打者だった。それも遠い昔のことではない。2005、6、7年とOPSは1.000を超え、RCも120を軽くオーバーした。このころは、マニー・ラミレスはわき役だったのだ。

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2008年、オルティーズは並みの打者になってしまった。原因としては手首の故障が挙げられているが、2009年になってドーピング違反も認めた。ドーピングとSTATSとの因果関係は直接には認めがたいが、これによって彼のチーム内外での信頼感が低下したのは間違いないだろう。

深刻なのは、この2年で投手に対する威圧感がすっかりなくなってしまったことだ。四球数は2007年から急落している。スコアリングポジションでの打率も急落。勝負強さで打ってきた打者にはこれは致命的だ。

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さらにSTATSを調べる。IBB(敬遠四球)も半減。増えたのは三振とフライアウトだ。

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2009年前半は、5/20まで本塁打が出なかった。その焦りがボールを打ち上げることにつながったのだろう。

さらに言えば、マニー・ラミレスとのコンビ解消が、オルティーズに負担となったかもしれない。マニーがいればこそ、オルティーズの打棒は振るったとの見方もできる。

BOSは4年5200万ドルの契約をオルティーズと結んでいる。2010年はその最終年。2011年はBOSのオプションとなっているが、このままでは行使することはないだろう。来期、オルティーズはよほどのことがない限り、FA市場に出ることになる。年俸はかなり下落することを覚悟しなければならない。

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バリテックは2010年どうなるのか?|2009ベテランの勤務評定‐01

MLBのベテラン選手について勝手に心配したいと思う。

まずは、ジェイソン・バリテック。2008年オフにFAとなったバリテックは2009年1月、1年500万ドルでBOSと契約、2年目はチーム、バリテックともにオプション付きという契約だった。バリテックはオフ早々の11月11日にオプションを行使して契約を延長した。BOSはその2日前にビクター・マルチネスと契約している。こちらはチームのほうがオプションを行使した。

2010年、ビクターは1塁でいく可能性もあるだろうが、基本的にはメインの捕手になるはずだ。バリテックは試合数が減ることが予想されるが、甘んじて契約した。その背景には、捕手としての衰えを自ら感じていることがあるのではないかと思う。

MLBの捕手成績(規定試合数以上)を見てみる。

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一見するとバリテックは衰えていないように見える。エラー3は最小、守備率もトップクラス、PBはわずか1つである(ウェイクフィールドの球を受けていないことは大いに割引くべきだが)。が、問題は盗塁である。BSの中継を見ても、バリテックは実によく走られていた。阻止率は.129。盗塁企図数(SB+CS)の多さも深刻だ。盗塁は、阻止することも重要だが、走る気を起させないことも重要だ。捕手の強肩は、外野手の強肩と同様、「走られない」抑止力として機能しているのだ。バリテックは、企図数でもリーグ2位だ。

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バリテックは、もともと肩で鳴らした捕手ではない。若いころはそれこそ走られ放題だった。それを動作のスピードアップや投手との連携で改善してきた。ここ数年は企図数でも100以下だったのが今年急に悪化した。2008年と同じだけ盗塁を刺す間に、2009年は50個も多く盗塁を許しているのだ。この状態が続くと、チーム成績に深刻な影響を与えるのは間違いがない。

特に盗塁阻止を課題として、バリテックは、2010年、背水の陣で臨むのではないか。

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最近メディアからいろいろお話をブログにいただくようになりました。迂闊なことに、殆ど対応できていませんでした。ご連絡は下記までお願いいたします。

baseballstats2011@gmail.com

広尾晃と申します。

ライター稼業をして、かれこれ35年になります。

2009年1月に、SportsNaviで「MLBをだらだら愛す」というブログを開設、12月には「野球の記録で話したい」を開設。多くの皆様にご愛読いただきました。2011年11月、livedoorに引っ越し。基本的な考え方は変わりません。MLB、NPBの記録を中心に、野球界のことをあれこれ考えていきたいと思います。多くの皆様に読んでいただきたいと思いますが、記録や野球史に興味と尊敬の念を持っていただける方のサイトにしたいと思います。特定の球団のファンの方も大歓迎ですが、「ひいきの引き倒し」的な論調には与しません。

広尾晃はペンネーム。本名は手束卓です。ペンネームは、小学校時代から使っていました。手束仁という同業者がいるので、ややこしいのでこの名前で通しています。ちなみに手束仁はいとこです。顔もよく似ています。
私が本名を隠しているかと勘違いして、恐喝のようなコメントを送ってくる犯罪者まがいがいるので、あえて公表します。


2012年11月「クラシックSTATS鑑賞」を独立したサイトにしました。

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