今日、MLBではニューヨーク・ヤンキース=NYYとボストン・レッドソックス=BOSがダブルヘッダーを戦っている。MLBでは珍しいことではない。NYYが連勝しそうな勢いだ。
ダブルヘッダーというものが、日本球界から消えて14年にもなる。私はダブルヘッダーが大好きで、良く見に行った。
ダブルヘッダーというものが、日本球界から消えて14年にもなる。私はダブルヘッダーが大好きで、良く見に行った。
ダブルヘッダーは、大抵土曜、日曜に組まれた。前日、前回のカードが雨で流れたときに、次の対戦がダブルヘッダーになったのだ。
当時の規定では、第1試合は9回で打ち切られる。引き分けというケースも多かったように思う。
そういえば、あの伝説の10.19もダブルヘッダーだった。


第1試合が終了して、第2試合のプレイボールがかかるまでは、2時間程度の間が開いた。半券をもって、外へ行くこともできるのだが、この2時間がわりと楽しかった。
第1試合で荒れたグランドが整備される。選手たちの多くもグランドを離れるようだが、中にはコーチからお説教をされている選手がいる。第1試合で良い投球が出来なかった投手が捕手とともによばれていたり、エラーした野手が身振り手振り付きでコーチから指導されていたり。
外国人選手は、こういうときグランドでよく遊んでいた。西宮球場でマルカーノが外野でウィリアムスとふざけ合っているのを見たこともある。
また、ベテランが黙々と調整しているのも良く見た。これも西宮球場のラッキーゾーンにあったブルペンで、登板予定のないはずの山田久志が、フォームを確かめながら一球一球ゆっくりと投げているのも見た。捕手は今も現役の中島聡ではなかっただろうか。
日生球場では、第1試合と第2試合の合間に、森之宮の駅で、スポーツ新聞を買うユニフォーム姿の千藤三樹男を見かけたこともある。競馬欄を見ていたように思ったが、どうだったのか。
合間の時間には、球団の応援歌が流れて、おっさんが調子っぱずれの声で唄ったりもした。不思議な時間だったのだ。
この時間帯に飲むビールはうまかったような気がする。
第1試合で負けたチームは、オーダーをガラッと変えてくることも多かった。ベテラン野手は、どちらかの試合しか出なかった。
負けたチームは、嫌な空気を振り払うべく、大きな気合を入れていた。勝ったチームは守備や打順を変えないことが多かったように思う。
お日様が真上にあるうちに始まった第1試合から数時間が経過し、そろそろ薄暮となっている。第2試合がはじまって、しばらくすると照明に灯が入り、ナイターになる。
この瞬間がたまらなかった。デイゲームの解放感と、ナイターのわくわく感を一度に味わえるのだ。同じユニフォームでも、陽光の下とカクテル光線の下では、全然別物に見えるのだ。
この味わいは、今のドーム球場では望むべくもない。


デイゲームではまばらだった客も、ナイターになると続々と集まってくる。昼間とは違う世界で夜の野球が始まるのだ。
同じ投手が2試合ともリリーフで出ることもあった。同じ打者が代打で出ることもあった。2試合目には拍手は一段と大きくなるのだ。また、同じ野手がエラーをすることもあった。野次が大きくなるのは言うまでもない。
ダブルヘッダーぶっ通し観戦は、野球好きならではの愉しみだった。
ただ、2試合目が終わると、選手でもないのにぐったりと疲れていたことも記憶に残っている。
ダブルヘッダーは廃止になったわけではない。5年前にも計画されたことがあるようだが、もう1度行ってみたいと思う。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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当時の規定では、第1試合は9回で打ち切られる。引き分けというケースも多かったように思う。
そういえば、あの伝説の10.19もダブルヘッダーだった。
第1試合が終了して、第2試合のプレイボールがかかるまでは、2時間程度の間が開いた。半券をもって、外へ行くこともできるのだが、この2時間がわりと楽しかった。
第1試合で荒れたグランドが整備される。選手たちの多くもグランドを離れるようだが、中にはコーチからお説教をされている選手がいる。第1試合で良い投球が出来なかった投手が捕手とともによばれていたり、エラーした野手が身振り手振り付きでコーチから指導されていたり。
外国人選手は、こういうときグランドでよく遊んでいた。西宮球場でマルカーノが外野でウィリアムスとふざけ合っているのを見たこともある。
また、ベテランが黙々と調整しているのも良く見た。これも西宮球場のラッキーゾーンにあったブルペンで、登板予定のないはずの山田久志が、フォームを確かめながら一球一球ゆっくりと投げているのも見た。捕手は今も現役の中島聡ではなかっただろうか。
日生球場では、第1試合と第2試合の合間に、森之宮の駅で、スポーツ新聞を買うユニフォーム姿の千藤三樹男を見かけたこともある。競馬欄を見ていたように思ったが、どうだったのか。
合間の時間には、球団の応援歌が流れて、おっさんが調子っぱずれの声で唄ったりもした。不思議な時間だったのだ。
この時間帯に飲むビールはうまかったような気がする。
第1試合で負けたチームは、オーダーをガラッと変えてくることも多かった。ベテラン野手は、どちらかの試合しか出なかった。
負けたチームは、嫌な空気を振り払うべく、大きな気合を入れていた。勝ったチームは守備や打順を変えないことが多かったように思う。
お日様が真上にあるうちに始まった第1試合から数時間が経過し、そろそろ薄暮となっている。第2試合がはじまって、しばらくすると照明に灯が入り、ナイターになる。
この瞬間がたまらなかった。デイゲームの解放感と、ナイターのわくわく感を一度に味わえるのだ。同じユニフォームでも、陽光の下とカクテル光線の下では、全然別物に見えるのだ。
この味わいは、今のドーム球場では望むべくもない。


デイゲームではまばらだった客も、ナイターになると続々と集まってくる。昼間とは違う世界で夜の野球が始まるのだ。
同じ投手が2試合ともリリーフで出ることもあった。同じ打者が代打で出ることもあった。2試合目には拍手は一段と大きくなるのだ。また、同じ野手がエラーをすることもあった。野次が大きくなるのは言うまでもない。
ダブルヘッダーぶっ通し観戦は、野球好きならではの愉しみだった。
ただ、2試合目が終わると、選手でもないのにぐったりと疲れていたことも記憶に残っている。
ダブルヘッダーは廃止になったわけではない。5年前にも計画されたことがあるようだが、もう1度行ってみたいと思う。
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コメント
コメント一覧
そういえば、そんな時代の日本テレビは、月曜日に「紅白歌のベストテン」、金曜日に「プロレス中継」→「太陽に吠えろ」と、ナイターで流れたら困る番組を編成していました。
それにしても、観客も疲れるのでは選手会は自分たちはもっと疲れるとか、言うんでしょうね。野球が好きで仕事にしているのに。
私は最初、何のことだか理解できませんでした(笑)
私も選手がそういうことを言うのはおかしいとは思いますけど。
自分はダブルヘッダーを知りませんがこのエントリーを見てると一度は味わってみたいですね。
私が子供の頃はかろうじて残っていましたが、今はすっかりなくなってしまいましたね。
本拠地がドーム球場だろうがなんだろうがやればいいと思うんですけどね。例えばドーム球場を本拠地に持つチームでも、地方球場での主催試合が中止になって、本拠地のドームで代替試合をやるケースだってあるんですからね。
で、なぜなくなったのかを考えてみたのですが、選手会がどうのということもありますが、フロント側の皮算用もあるのではないですか。
広尾さんも書かれていますが、ダブルヘッダーは1試合分のチケット代で2試合観戦できるわけですよね。つまり単純計算で1試合分のチケット収入がなくなるわけです。それを惜しんでやらないようになったのではないでしょうか。
小洒落たお店で料理を味わうのではなく、たまに白いご飯をお腹いっぱいかっ込みたくなるあの感じ。今日はとにかく、たっぷりスポーツを観戦したなあ、と。
プロ野球史上唯一のダブルヘッダー2試合連続完投勝利の記録は昭和14年4月23日、堺大浜球場で行われた南海vs名古屋戦で名古屋の繁里栄投手が達成しています。
この年名古屋は松尾幸造、西沢道夫、村松幸雄の三本柱が故障で投げられなくなり、繁里が孤軍奮闘していました。野手の大沢清と中村三郎がマウンドに上がるのもこの頃です。
繁里栄は第一試合は4安打5四球2三振の完封で1対0、第二試合は雨で7回コールドとなりましたが6安打2四球2三振の完投で3対1で連勝しました。第二試合の失点は6回に鶴岡一人にプロ入り初ホームランを打たれたものです。永遠に不滅の大記録でしょう。翌日の読売新聞は「繁里超人的の連投」の大見出しで歴史的快挙を報じています。
そう言えば、せっかく定着しかかった延長戦15回制も、選手会から見直しの声が出て変更に。何だかなあと思いましたけど、更に電力問題が難題となった震災後の状況では、延長戦どころでは無くなってしまいましたね。
野球ばっかりに時間は割いてられない。